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雨がわたしを眠らせる。米朝会談は決裂に終わる。

昨夜来の雨は、1日中降り続きました。
東京地方で20ミリ以上の雨が降ったのは昨年の11月6日以来のことだそうです。
久しぶりに、このフレーズを使います。

雨がわたしを眠らせる。

2月の最終日、なにもやる気が起こらずベッドでグダグダしておりました。

昨日までは、楽観ムードさえ流れていたベトナム・ハノイの米朝会談。今日になって見事な決裂。
これで北朝鮮は再び孤立の殻に入ってしまうのか?

拉致問題がネックになって日朝関係もこれで進展なし。安倍さんのアメリカ穴なめ外交で問題解決は遠くなりました。
そういえば、小泉さんが訪朝し、拉致被害者の一部を救出したのは、米ブッシュ大統領が北朝鮮のことを「悪の枢軸」と呼んで最悪の関係の時でした。
北朝鮮は、いま相当経済閉鎖で疲弊しています。もし、いま安倍さんが平壌に乗り込んで、
「拉致被害者を全員解放してくれるなら平和条約を結び、賠償金も支払いましょう」と提案すれば、一挙に問題は解決するような気がします。

まあ、安倍さんには、そんな度胸も度量もないでしょうけどね。

2月の末日に、そんな事を考えていたスポーツ三昧でした。


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映画「蹴る」をメディア向け先行上映会で鑑賞する。

2月も押し詰まりました。

午後3時45分に自転車で田無にある西東京市役所まで用事で行き、その足で東伏見へ。
都心まで電車で向かいます。

JFAハウスのヴァーチャルスタジアムで行われた電動車椅子サッカードキュメンタリー映画「蹴る」バリアフリー先行上映会に参加しました。
会場では、電動車椅子サッカーの体験会も催されたようです。
参加者受付まで時間があったので、3階の記者室で資料集め。昨日行われた「デンソーカップ」の記者会見資料、今季の日本フットボールリーグ(Jリーグの下部組織全国リーグ)の報道資料(全チームの登録選手表、日程表など)をゲットしました。

午後6時30分から関係者の舞台挨拶がありました。中村和彦監督、北沢豪JIFF会長、映画で主役を務めた永岡真理選手が挨拶しました。それに続き映画が約1時間30分上映されました。

無いようについては、ネタバレになりますので詳しくはここでは書きません。
ただ電動車椅子サッカーというものを初めて見ましたが、かなり激しいスポーツです。
映画が始まっていきなり主演の永岡選手が脳震盪を起こし退場、救急車で搬送されるシーンが現れます。
映画では2011年から2017年アメリカで開催されたワールドカップを扱ったドキュメント。
中村監督は、あれもこれもとテーマ、人物を絞り込めず、盛りだくさんの内容にしてしまいました。それが映画の印象を散漫なものにしてしまいました。
やはり、テーマを絞りこんで、捨てる部分を多くしないとだめですね。それが残念。

日本の電動車椅子サッカーは、筋ジストロフィーの選手が多い。どちらかといえば、電動車椅子サッカーのスポーツはできない人がやっています。中には、人工呼吸器をつけている人もいる。痰が喉に詰まって急死した代表候補も紹介されていましたが、ワールドカップの開催国アメリカに行くのも命がけの選手もいました。
それに比べワールドカップ優勝国のフランスや準優勝国アメリカ(日本を9-0で破った)は、電動車椅子のお世話にならなか打ても十分生活できる人が多い。それだけハンディがあるわけです。
「あんな選手とはサッカーできないよ。俺、もう辞める」といっていた日本選手が印象的でした。
主役の永岡選手も女子選手として史上初の代表になった選手でしたが、大会直前の合宿で代表落ち。キーちゃんがフランス・ワールドカップ直前に代表から落とされた話を永岡選手にするのも印象に残りました。

途中、15分ほどトラブルで映画が途切れましたが、なかなか興味深い映画。心臓の冠動脈が詰まったくらいで泣き言を言っている自分がなさけなくなりました。
電動車椅子サッカーの選手が「命がけ」でプレーをしているのが良く分かりました。

この映画は、3月23日からポレポレ東中野を川気鋭に全国でロードショーが行われる予定です。サッカー関係者、サッカー愛好家の方には、ぜひ見ていただきたい作品です。

10時30分、小雨の中帰宅。
遅い夕食を摂り、床に就いたスポーツ三昧でした。
<了>


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春3月からのスポーツ三昧はアクティブに取材に出かけます。

早いもので2月も残り3日です。

今日も特に取材の予定も無く、自宅で3月の取材活動につきスケジューリングしていました。

来週は、4日(月)は、大正15年から昭和10年まで、池上電気鉄道(現・東急池上線)に慶大グラウンド前という駅が存在し目黒鎌田電鉄(旧・東急目蒲線)と観客争奪戦をしていたそうです。そのグラウンドでは、野球の早慶戦も1回行われているそうですし、ラグビー部も「新田グラウンド」というのが存在していたことも知っています。
大学時代からの旧友・ムラセさんと行くのですが、彼とはかつて三田綱町グラウンドも探訪したことがあり、まさにマジカルミステリーツアーになりそうです。

5日(火)は、田無の中央総合病院で定期検診。

6日(水)は、名古屋でルヴァンカップの名古屋グランパスvs.ヴィッセル神戸戦を取材し、1年ぶりに名古屋の実家に帰ることにしました。
7日(木)は、実家近くのキリンビール名古屋工場に見学しようと思っています。これは、実家に帰った時の恒例です。
8日(金)は、名古屋ウイメンズマラソンのプレスカンファレンス取材。
9日(土)は、サッカーJリーグ第3節、ガンバ大阪vs.ヴィッセル神戸を取材予定。まだパナソニックスタジアム吹田で取材したことがないので、ぜひ日帰りで行ってみたい。
10日(日)は、名古屋宇井メンズマラソン取材。
11日(月)は、御茶ノ水のJFAハウスで第21回JFL開幕記者会見があるので、それまでに名古屋から帰京の予定です。
12日(火)は、お休みをいただき、13日(水)はサッカーACL川崎フロンターレvs.FCシドニー戦を取材予定。Jリーグ二連覇を果たしながら、いまだACLでは成果を上げていない川崎の戦いぶりが気になります。

そんなわけで、けっこう3月前半は忙しくなりそうです。

そんな予定を立てているスポーツ三昧でした。

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レ二・リーフェンシュタールの名作「民族の祭典」を鑑賞。



新しい週が始まりました。
2月も残すところ4日です。

今日は特に取材の予定も無し。
自宅で作業したのですが、午前中で大方作業も終わり久しぶりにDVDコレクションを鑑賞することにしました。
選んだのは、レ二・ルーフェンシュタールの傑作「民族の祭典」。現代は”OLYMPIA 1Teil"といいます。2部作で後編は「美の祭典」といいます。
「民族の祭典」は、1936年に開催されたベルリン・オリンピックの公式記録映画です。
IOC公認の公式記録映画は”OLYMPIA"が史上初の作品。
おもに聖火リレー(これまたベルリン・オリンピックが史上初)、開会式、十種競技を除いた陸上競技、閉会式が納められています。
四冠王のJCオーウェンス、1万メートルの村社講平、西田・大江の棒高跳び、田島直人の三段跳びの、マラソンの孫・南の活躍など納められています。

今日は、”THE COMPETE BOOK OF THE OLYMPICS"という分厚い英書を読みながら映画を鑑賞してみました。
細かい字を読むのがつらくなっていましたが、
「なるほどな」と感じさせられる公式記録映画です。
評伝によると、棒高跳びは時間が押して真っ暗になってからも競技が続行され、実際の映画の映像は、後日取り直したものだそうです。
たしかに、棒高跳び、綺麗に撮れています。応援団も取り直しだそうです。

マラソンのアップも、南選手が明大のユニフォームを着ていたり、おかしな部分も多いですが、まあ作品的に素晴らしいんでOKですかね。
当時はラジオ放送しかなかったですから、何年か後に一般の方は映画を見てオリンピックを知ったわけです。

次は、後編の「美の祭典」も英語の原書を読みながら見てみようと思いました。

そんなスポーツ三昧でした。


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久しぶりのサイクリング疲労、お休みとさせていただきました。

2月最後の日曜日。
サッカーJ2、J3の開幕日ですが、良い昨日と昨日の久しぶりのサイクリング疲れで休養日とさせていただきました。

なにしろ昨日は等々力までの往路が2時間15分(途中マックでの15分間休憩含む)だったのに対し、復路は、激しい北風の向かい風。5時30分に出発したのに休憩2回含み帰宅したのは11時。
疲れました。

今週は、ここのところ毎週行われているマラソン中継もなし。
1日中寝床でグタグタしていました。
DyDoアイスアリーナでアイスホッケーも無し。

ともかく疲労回復に費やしたスポーツ三昧でした。


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サッカーJリーグ開幕。川崎フロンターレvs.FC東京戦を取材。

なんとなく早朝から目が覚めてしまいました。

9時50分には自転車で出発。心配していた雨は降りませんでした。
気温は13度と高めです。日差しはあるが、北風が強く体感温度は少し低い。

12時ちょうど川崎・等々力陸上競技場に到着。
記者会見室最前列右前の定席を確保。壁のコンセントからコードを伸ばして電源も確保。
メディアトリビューンも確保。
キックオフ1時間半前にメンバー表が配布されました。

川崎フロンターレのスターティングラインアップは、GK鄭成龍(韓国)。DFマギーニョ(ブラジル)、奈良(札幌U-18)、谷口(大津)、車屋(大津)。MF守田(金光大阪)、大島(静岡学園)のダブルボランチ、k¥左翼がが家長(ガンバ大阪ユース)、右翼が小林(麻布大渕野辺)、トッ
プ下が中村(久留米)。FWレアンドロ・ダミアン(ブラジル)。4:2:3:1の布陣です。(カッコ内)はユース年代の所属先。
対するFC東京の先発は、GK林(流経大柏)。DF室屋(青森山田)、チャン・ヒョン(韓国)、森重(広島皆実)、小川(流経大柏)。MF高萩(広島ユース)、橋本(FC東京U-18)のダブルボランチ、右翼が久保(FC東京U-18)、左翼が東(大分U-18)。FW永井(九州国際大付)、ディエゴ・オリベイラ(ブラジル)。中盤ボックスの4:4:2の布陣です。

レフェリーは村上伸次。午後2時3分、川崎のキックオフで試合開始。
何度も書きますが、36回目の対戦で”多摩川クラシコ”はおこがましい。しかも川崎が圧倒的に勝ち越しています。せめて50回目の対戦くらいから遠慮しながら”クラシコ”を名乗ってほしいし、本来なら40奨40敗20分け、100回目の対戦になってから堂々と”クラシコ”を名乗ってほしいものです。

さて、川崎は昨年の最少失点チーム、FCt東京は昨年6位にもかかわらずかかわらず失点数は2番目に少ないチーム。”多摩川クラシコ”は意外にも大量得点のことも多いのですが、今日はディフェンシブなゲームになりました。
FC東京は、アウェーでの開幕戦。悪くても引き分けスタートを狙ってか、フラットなDFライン、ボランチ2枚は完全に守備に専念。攻撃は両翼の久保と東、FW2人の4人だけが攻撃するというシステム。その4人も前からプレッシャーをかけ続け、川崎に簡単には攻撃のきっかけを作らせません。
川崎は、トップのレアンドロ・ダミアンにボールを集めようとしますが、FC東京もなかなかフリーにはさせません。小林、家長あたりがドリブルでチャンスを作ろうとしますが、これも決まらず。
中村がバックパスをインターセプトしてチャンスを作りますが、FC東京GK林の好セーブに阻まれます。
31分の小林のシュートも、林がセーブ。徐々にFC東京のプレッシャーが弱まり、川崎がボールポゼッションを上げる本来のプレーを見せだしますが、なかなか得点を挙げることが出来ません。
FC東京は、41分に右中間から久保が直接ゴールを狙いますが右ポストに跳ね返ります。
44分には左から東がフリーキック、ファーで待っていた橋本がヘディングシュート吸いますが、惜しくも右に外れます。
アディショナルタイムは1分20秒、ハーフタイムを迎えます。シュート数は3-3。チャンスは作れても、なかなかフィニッシュまでいけない両チームでした。

後半も両チームとも同じイレブンでスタート。
川崎のポゼッションが、ますます上りFC東京の守勢が強まワります。
10分、川崎の鬼木監督(市立船橋)が先に動きます。右サイドバックのマギーニョを馬渡(市立船橋)に交代。すると川崎の好守が安定しだします。
13分、中村のスルーが小林に通りシュート。林が好セーブ。
14分にも小林が左からドリブルで切れ込んでシュート、GK林がパンチングでコーナーキックに逃れます。
16分、FC東京の永井が右45度からシュート。18分、FC東京の長谷川監督(清水東)が、その永井を田川(鳥栖U-18)に交代。
28分、川崎は不発のレアンドロ・ダミアンを諦め齋藤(横浜FMユース)に交代。すると左サイドに攻撃の橋頭保が生まれます。家長を左翼に、小林をトップに上げます。
31分、大島が左中間から思い切ってロングシュート。惜しくも右に外れます。
33分、FC東京は好調だった久保を大森(ガンバ大阪)に交代。久保はまだフル出場は無理なようです。
36分、川崎は中村に代えて知念(知念)をピッチに送ります。
38分に川崎は左中間から家長がフリーキックをゴール前に上げ、小林がシュート。林ががっちりキャッチ。
42分、FC東京の長谷川監督も3枚目の交代カードを切りました。ティエゴ・オリベイラに代えてナ・サンホをピッチに送ります。今季からJリーグの外国人枠は5人になっています。
最後まで得点は生まれず、アディショナルタイム3分21秒、スコアレスドローのままタイムアップを迎えました、
総シュート数は11-5と川崎が圧倒しましたが、FC東京の守りに齟齬が出ず、両チーム勝点1スタートです。

試合後の監督会見を取材、公式記録をピックアップして午後5時30分に等々力を後にしました。
実力均衡の好きゲームでしたがゴールは生まれず。まあ、これもサッカーです。

帰りは強い北風に阻まれ、えらく時間がかかりました。
帰宅したら11時すぎ。大休止2回もしたから仕方ありません。

遅い夕食を済ませ、床に就いたスポーツ三昧でした。
<了>


[結果]
川崎フロンターレ 0-0 FC東京(前半0-0)

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ホッケー2018高円宮牌日本リーグ年間表彰式を取材。

2月も早いもので最後の週末になりました。

午前中に作業を済ませ、久しぶり(元旦の初詣以来?)に都心まで自転車でサイクリング。

早稲田大学の生協によって、来年度用の手帳を購入。
学生時代から4月始まりの手帳を愛用しています。ラグビーやサッカーの仕事が多かったので、4月から3月までの手帳が都合がよいのです。

そのあと、大急ぎで水道橋の後楽園ドームホテルへ。
午後2時から開催された2018日本ホッケーリーグ年間表彰式を取材します。
アイスホッケーは今年度179試合を取材しているスポーツ三昧ですが、フィールドホッケーは、そこまでは取材していません。ホッケーのトップリーグは、東京にホームチームがないためです。でもご近所の早稲田大学のホッケー場は良くいくし、ジャカルタのアジア競技大会では、結構ホッケー取材しました。

4日前に帰国、今日も他のご公務と兼任、お忙しい中を日本ホッケー協会の名誉総裁であらせられる高円宮久子妃殿下がご列席されました。最初にご挨拶に立たれ、
「亡くなった高円宮殿下は、学習院高等科時代に全国高校総体に参加され、そのお話をよくされていました」というエピソードをお話されました。学生時代にホッケーをプレーされていたのは存じ上げていましたが、全国高校総体に出場されたお話は初耳でした。また、そのあと挨拶された日本ホッケー協会の顧問・北河原公敬氏は、
「実は、わたしも学習院高等科ホッケー部のOBですが、わたしの頃のホッケー部は、生徒の吹き溜まりみたいなクラブでした。高円宮さまが全国総体に出場されたのは本当に素晴らしいことで誇らしいことです」と語っておられました。
高円宮殿下は、高円宮牌も自らデザインされたそうです。

高円宮殿下は、2002年のサッカー韓日ワールドカップ開催時も、日本皇族として唯一渡韓され日韓友好につくされたいます。
その大会直後に急逝されてしまいますが、まことに日本スポーツ界にとって痛手でした。そのご遺志を妃殿下が引き継がれているのは、大変立派なことであると感謝しています。

そのあと、チーム表彰、個人表彰、優秀アンパイアの表彰、各リーグのベストイレブンの表彰があり、最後に男子最優秀選手が田中世蓮(岐阜朝日クラブBLUE DEVILS)、女子の最優秀選手が永井葉月(ソニーHC BRAVIA Ladies)と発表があり、特製のトロフィーが授与されました。

表彰式は1時間で終了。集合写真撮影の後、立食パーティーになりました。

ドームホテルに勤務されている学生時代からの知己・川本峰男さんと30分ほど歓談し、ドームホテルを後にしました。

帰路、筑波大学付属高校により、中塚義実先生から依頼されダビングしたワールドカップ1966年大会のイタリアvs.北朝鮮戦のDVD-Rを届けて7時30分ころ帰宅しました。

久しぶりの都心までのサイクリング。予報されていた雨も降らず、快調でした。
サッカーJリーグ開幕したようですが、ビジャ、イニエスタ、ポドルスキー(VIPと呼ばれているそうです)の3人を擁するヴィッセル神戸がチャンスを生かせず、セレッソ大阪のワンチャンスの得点-1で敗れたようです。サッカーは、良い選手を集めただけでは勝てないようです。

明日は、川崎フロンターレvs.FC東京の多摩川クラシコ(36回目の対戦でクラシコと呼ぶのはおこがましい)を取材する予定のスポーツ三昧です。

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明日からJリーグ2019シーズン開幕。

朝の検温36.2度。

本日も特に取材の予定なし。
昨日に引き続き自宅で「2019 J1 J2 J3選手名鑑を熟読します。
過去15回帯同取材している日本高校選抜のヨーロッパ遠征チームのメンバーの動向にt牛黙します。
川崎フロンターレ、サンフレッチェ広島の選手は書きました。
鹿島アントラーズには、清水から移籍した白崎凌兵(山梨学院大付OB)がいました。
北海道コンサドーレ札幌には、残念ながらいません。
浦和レッズには、スペインから柏に帰ってきた鈴木大輔(星稜)が移籍。
FC東京、セレッソ大阪、清水エスパルスには現役選手は見当たりません。
ガンバ大阪には米倉恒貴(習志野)がいます。
ヴィッセル神戸、ヴェガルタ仙台、横浜F・マリノス、湘南ベルマーレ、サガン鳥栖、名古屋グランパス、ジュビロ磐田にも現役選手は不在。
松本山雅FCには中美慶哉(前橋育英)が金沢から移籍していました。
同じJ2から昇格した大分トリニータも不在です。

J2にもご一緒した高校選抜OBが多数いました。
V・ファーレン長崎の監督は手倉森誠氏。徳永悠平、徳重健太の国見OBが。
横浜FCには、GK南雄太(静岡学園)が頑張っています。
FC町田ゼルビアにもGK増田卓也(広島皆実)がいました。
ヴァンフォーレ甲府には松橋優(国見)が名を連ねていました。モンテディオ山形にはGK櫛引政敏宇(青森山田)がいます。
ツェーゲン金沢には、地元・星稜OBの作田裕次が頑張っています。
ジェフユナイテッド千葉には増嶋竜也(市立船橋)がいました。奥様は元バドミントン選手の汐田玲子さんで有名ですね。小島秀仁(前橋育英)もいました。
ファジアーノ岡山には増田繁人(流経大柏)がいます。心臓病を克服して現役続行中。

J3でも頑張っている選手がいました。
ロアッソ熊本には片山奨典(国見)、腹一樹(市立船橋)を見つけました。二人ともいぶし銀のようなプレ0やー。
ザスパクサツ群馬には、2005年組主将の渡辺広大(市立船橋)がいます。長い間、ヴぇガルタ仙台で頑張っていたプレーヤーです。
ブラウブリッツ秋田には田中雄大。あの野洲出身のサイドバック。
カターレ富山には、長い間ストライカーとしてプレーしている苔口卓也がいます。
藤枝MYFCには、阿渡真也(鹿島学園)、大迫希(鹿児島城西)の2009年組がそろって在籍。

以上、ざっとあげても、これだけの人数。なんとか今年中に1試合は取材したいですね。

3月10日の名古屋宇井メンズマラソンの取材にひっかけて、なんとかついでに東海・関西方面にJリーグの取材に行きたいものです。

そんな今季もJリーグに夢を膨らませるスポーツ三昧でした。



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いよいよ今週末からサッカーJリーグ27シーズン目の開幕です。

朝の検温36.3度。
気温は20度近くまで上がりました。春本番ですね。

今週末からサッカーJリーグが開幕します。
昨年から毎節1試合、金曜日開催になり、開幕戦は22日の夜。セレッソ大阪vs.ヴィッセル神戸戦で始まります。
1993年のJリーグ創設から、今年が27年目。わたしもザックリ毎年20試合ほど取材しており、通産540試合取材したことになります。もの凄い数ですね。多分、もう少し多くの試合数を見ているかもしれません。

今年も23日の川崎フロンターレvs.FC東京戦から取材しようと思い、今日申請書をホームの川崎フロンターレの事務局にFAXしました。
同時に、田無の書店に「2019 J! J2 J3選手名鑑」を買いに行きました。定価979円(税込み)。これで1シーズン楽しめます。
さっそく帰宅して熟読します。わたしの一番の興味は、むかし日本高校選抜チームのヨーロッパ遠征に帯同取材していた頃の選手の動向です。
なにせ15回も取材している(1983年、1986年、1988年、1990年、1991年、1993年、1995年、1997年、1999年、2001年、2003年、2005年、2007年、2009年、2011年。その他2013年も自費で取材しています)。
すでに最初の遠征でご一緒した長谷川健太氏はFC東京の監督になっているし、鹿島アントラーズの大岩剛監督、ジュビロ磐田の名波浩監督、大分トリニータの片野坂知宏監督、V・ファーレン長崎の手倉森誠監督、FC町田ゼルビアの相馬直樹監督、水戸ホーリーホックの長谷部重利監督、カターレ富山の安達亮監督と8人を数えています。遠征チームのコーチとして渡欧した布啓一郎氏(元市立船橋)は、ザスパ草津の監督さんになっていました。

もちろん、現役で活躍している選手の動向も楽しみです。
川崎フロンターレには、登里享平選手、車屋紳太郎選手がいますし、サンフレッチェ広島には、ヴェルディから移籍した井林章選手、GKの中林洋次選手もいます。
今後、詳しくチェックするのが楽しみです。

開幕27年目を前に、わくわくしているスポーツ三昧です。


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「高校サッカー100年」発行に思うこと。

朝の検温、36,2度。少し風邪気味かもしれません。

今日は特に取材の予定なし。終日、自宅で作業をしておりました。
午後、雨も降りだした東京地方。

「高校サッカー100年」が講談社から発行されたようです。
昨日、サッカー史研究会に参加した際、筑波大学付属高校の中塚義実先生が、発行のあいさつ代わりに持参されたようです(「高校サッカー100年」に関してサッカー史研究会でもテーマとして取り上げたことがあったため)。じっくり拝見しました。

まず、表紙の旧国立競技場の俯瞰写真が泣かせます。新国立競技場建設のため破壊されてしまったオリンピックスタジアム。世界中でオリンピックのメインスタジアムを破壊してしまったのは、日本だけです。

こうした記念史のようなものの編集・発行は大変な事業です。
わたしも、かつて「高校サッカー60年史」「高校サッカー90年史」の発行に携わり、「近代オリンピック100年の歩み」とか「日本体育協会の100年史」などの執筆を担当したことがあり、その労苦は知っているつもりです。
ともかく「高校サッカー100年」の発行に対しては、無事発行されたこと。お喜びを申し上げたいと思います。

高校サッカー選手権の前身、大阪毎日新聞社主催の「日本フートボール大会」の誕生は1918(大正7)年です。選手権は今回で97回でしたが、全国高体連サッカー部は「誕生から100年」の2018年に「高校サッカー100年」の発行を目指していたと聞きます。
ほんの数か月おくれましたが、ともかく意図とおりに発行されてよかったですね。
定価も税込みで4000円前後と手ごろです。もっとも高体連サッカー部加盟校が2冊ずつ強制購入の買い上げですから、低価格に抑えられたのでしょう(高校サッカー年鑑と同じ方式)。そうした理由で、この書籍は、ほとんどの一般書店には置かれておらず、取り寄せるしかありません。

高体連サッカー部は、90年史と異なり、「高校サッカー100年」は高体連サッカー部のみの力で発行しようという考えで編集を進めていると聞きましたが、奥付の「編集委員」の名簿をみると、サッカー史研究会の前主宰者の牛木素吉郎氏と知り合いのカメラマンさんの名前が掲載されていたのが意外でした。

ひとつ残念に思ったのが、各大会の成績が勝ち上がり表が載っているだけで選手名がまったく掲載されていないことです。60年史では、選手権はもとより、高校総体までメンバー表が掲載されていました。
90年史では、決勝だけのメンバー表掲載でしたが、それは100年史で完璧に掲載する予定だったからです(サッカー史研究会の主宰者・国吉さんは名字だけでなく名前も掲載してほしいとおっしゃっていました)。
4年前、もしわたしが高校サッカーの仕事をお役御免になっていなかったら、全試合のメンバー表は掲載するようにしていたと思いますし、その作業は、喜んでやっていたと思います。やはり、100年の歴史を彩ってきた選手名は、必掲だったと思います。女子部の成績が掲載されたのは良かったなと思いました。
それと、90年史で誤っていた記述を訂正するように知り合いの編集委員の先生にお伝えしたのですが、そこの部分が訂正されていなかったのも残念でした。
「高校サッカー100年」が発行されたのは喜ばしいですが、少し不完全な形で発行されたのは残念です。

まあ、4年前に講談社から39年間やってきた仕事を簡単に契約解除されたのですから、今さら何を言っても負け犬の遠吠えみたいなものですが……。

そんな事を考えていた暇なスポーツ三昧でした。


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