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蹴球亭さんのお宅で行われた日本サッカー史研究会番外編に参加。

令和初の台風「台風3号」が近づいています。

東京地方は、朝から晴れ。西の方から崩れてきているようで、どんどん雲が厚くなってきました。

コパ・アメリカ、FIFA女子ワールドカップなどライブ取材をしたため時差ボケが続いています。
朝のルーティーンだけ済ませ、午前中はボーっとしておりました。あかんですな。

午後、少しだけ自宅で作業を済ませ、自転車で高井戸の蹴球亭さんこと佐藤さんのお宅へ。
日本サッカー史研究会で知己を得た佐藤さん。有志を自宅に招いてくれてサッカー史研究会の番外編を開催しようという志です。
集まったのは、わたしの出版社時代の先輩・田中さん、元サッカーマガジン編集部副編集長の国吉さん、筑波大学付属高校教諭の中塚さんの4人でした。

高井戸の佐藤さんのお宅は、井の頭線高井戸駅から歩いて数分。久しぶりにセキュリティーの厳しい高級マンション(私も昔数年住んだことがありました)を訪問。
まず、蹴球亭さんのコレクションを拝見しました。押し入れとか棚とか資料が収まり切れず、床にも書籍が積みあがっていました。引っ越す前の我が家もこんなものでした。
ミーティングを行ったリビングもお宝のヤマ。テレビには最近のサッカー中継のVTRが流れています。
ユニフォーム、ボール、マスコット、ペナントの類もいっぱい。まあ、サッカー好きには、たまらないお部屋でした。

そこでマニアックな4人が集まり、特にテーマを決める訳でもなく、次から次へとサッカー談義、討論が続きます。そして、その話題に関する資料がすぐ登場します。
最近、テレビのコメンテーターとして活躍している国際弁護士の山口沙也加さんが筑波大付属高校のOGで、サッカー部の女子マネだったそうです。近いうちにテレビ朝日の人気番組「あいつ今なにしてる」に出演予定されているようで、恩師の中塚先生がテレビ出演されるとか。
サッカー史研究会を仕切ってくれているJFAの田中さんの学生時代の写真(関東学連の役員をやっておられたようで2006年のプログラムに顔医写真が掲載されていた)まで拝見することができました。世の中狭いというか。
早稲田ア女出身でなでしこリーグのノジマステラ神奈川相模原でプレーしていた高木ひかる選手が現役引退してしまった、というのも驚きでした。つい最近まで日本女子代表で活躍していたのに……。なにかあったのでしょうか。女子サッカー選手の身分の不安定さは心配です。
それとレアル・マドリッド入団が決まり今をときめく久保建英選手のお父さんが中塚先生と筑波大時代の蹴球部の同窓であったというのもびっくり。
そんな、話から「日本ヤタガラス協会」の話まで。
ヤタガラスについては、古事記が出典なため新田純興さんあたりは、
「日本サッカー協会がマークに使っているが、あまり表立って語れない」的な雰囲気があったそうです。私も、若い時は「君が代」を歌うについては、抵抗がなかったわけでもない。1979年ワールドユース(現FIFA U-20ワールドカップ)日本大会の時、日本の若いサポーターが大声で「君が代」を歌っているのを聞いて、
「こいつら右翼か、暴走族か?」と驚いたものです。
それが、いつしか試合前の国歌斉唱時には「君が代」を口ずさむようになっています。
田中さんの話では、1985年のユニバーシアード神戸大会のおり、日の丸を振ろうとしたら、北朝鮮サポーター(在日朝鮮人)から、
「そんな旗、振るな」と言われたそうです。当時は、日の丸が現在の旭日旗みたいな感覚だったのでしょう。
そうした、微妙な話も出ました。

午後5時過ぎから始まったミーティングは談論風発、蹴球亭さんの酔いが回り、田中さんがお疲れモードに、わたしもお酒セーブしウーロン茶がぶ飲み状態になった午後10時すぎミーティングはお開きとなりました。

すでに小雨が降っており、挨拶もそこそこに速攻で自転車で帰宅しました。

11時30分に帰宅。床に就いたスポーツ三昧でした。



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