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名古屋スティ7日目。暑いお盆の入りの日になりました。

今日からお盆。
母が逝ってから5か月が経ちました。
東京では7月にお盆の供養をしますが、田舎の名古屋では8月がお盆。
母の初盆でもあります。

午前中、結構ゲリラ豪雨並みの雨が降りました。
夕立ならぬ”朝立ち”といったところですが、言葉通りでは別な意味になってしまうので、”通り雨”としておきましょう。

今日も特に予定なし。
お盆近くなるとテレビも戦争関係の番組をよく放送します。
夜中に目が覚めてしまい、まず見たのが「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」と「歴史秘話ヒストリア・ガタルカナル 大敗北の真相」を見ました。
原爆のドキュメントは、投下した側のアメリカと被害者側の日本の事情を通じて、なぜ広島と長崎に原爆が落とされたかを貴重な映像で探っていました。
アメリカ側の大義名分は、「戦争を早く終結させるため」というものですが、実際は原爆の威力を実際に落としてみて試してみたかった、という側面が強かったようです。実際に、戦後広島を訪れた原爆開発の責任者トーマス・ファレル准将は「この武力が敵国でなく、わが国に与えられんことを謙虚に受け止めなければなりません」と語り、予想以上の威力に驚いたようでした。
また、日本側の指導者は英BBCのインタビューに答えた映像で迫水久恒(当時内閣書記官長)は「アメリカが新型爆弾を開発したことは知っていたが、使わないだろう、使うとしても事前予告があるだろうと楽観視していた」と語り、内大臣の木戸幸一は「官僚は終戦を模索していたが、軍部は水際で防ぎ、そこで有利に敗戦処理に入ろうとしていた。一部では一億玉砕と唱えていたものもいた」と悲観的な発言。
加瀬俊一外務大臣秘書官は、「ポツダム宣言を受諾しなければ終戦の道はないと考えていた。しかし、軍部の反対が強く、先延ばしにしているうちに原爆が2発投下された。そして講話の仲介をお願いしていたソ連の参戦で、一挙にポツダム宣言受諾に傾いた」と語っています。
迫水も「原爆の投下とソ連参戦が終戦の決め手になった」と最後に語っています。
製作したNHKは、日本の官僚たちの口から「決断が遅れて、結果として被爆者を生んでしまい申し訳ない」の一言がなかった、と結論していました。

ガタルカナルの大敗北については、現地から遠く離れた東京・市ヶ谷の大本営で陸軍と海軍の意見が合わず机上の空論を話していたことが問題。勝てるチャンスがあったのに、ここで撤退したのが太平洋戦争の帰趨を決した、と結論付けていました。

1時からのプレミアムシネマ。昨日は「史上最大の作戦」でしたが、今日は「あゝひめゆりの塔」でした。
昭和20年の沖縄戦における沖縄高等女子師範の学生によるひめゆり部隊の壮絶な話でした。
学童疎開の学童を乗せた対馬丸が沈没した話も出てきました。2010年の沖縄高校総体の取材に行った折、宿舎のホテルの近くに「対馬丸記念館」があり訪問したことがあります。正式な民間旅客船に乗せていればアメリカ潜水艦の攻撃目標とならず攻撃を受けなかったと言われています。貨物船に学童を乗せたのが間違いでした。
この映画の主人公は、吉永小百合さん。今も綺麗ですが、若いときは息をのむほどの美しさですね。感動ものでした。

今日のファブリ世界名曲集のデジタル化は、ベートーヴェンⅣのヴァイオリンソナタ<クロイツェル>、ベートーヴェンⅤのヴァイオリン協奏曲の2曲。1時間ちょっとで鑑賞できました。

夕方、いつものように自転車でアオキスーパーへ。

それで8月13日は終わりました。

そんなスポーツ三昧でした。

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