SSブログ

アウグスグルグで日本女子vs.イングランド女子戦を取材。

ミュンヘンのホテル・マイヤー泊。
昨夜は、ミュンヘンに午後10時過ぎにホテル着。結局、何処にも行かず、ホテルの部屋で缶ビールを1缶あけて寝てしまいました。

あけて5日の6時、起床。入浴してゆっくりし、8時30分から朝食。
素早く身支度と荷物を纏めてホテルをチェックアウト。荷物をミュンヘン・ハンプトバーンホフに預けて(コインロッカー3ユーロ=360円)Uバーン(地下鉄)でミュンヘンオリンピア・ツェントラルを目指します。

5年前のドイツ・ワールドカップの際は、アリアンツ・アレナには数度取材に行ったのですが、オリンピックパークには行けませんでした。
1978年、そして1988年のユーロ・西ドイツ大会のおり、2度オリンピックパークには行っています。それでも、やり残した事が。オリンピックのメインスタジアムには、必ず優勝者の掲額があるのですが、ミュンヘンのものは確認できていません。今回、ミュンヘンには、それを確認する為に来たようなものです。
地下鉄の駅を出ると目の前は有名なBMW(ドイツ語ではべーエムヴェー)の博物館と工場が。吹く風が心地よく、
「ああ、ババリアの風になりたい」という感じです。

早速ドイツで一番高いというテレビ塔に登ってみました。
登ると言ってもエレベーターで上がるのであっという間です。オリンピック公園が俯瞰で綺麗に見えました。
あの、忌まわしい事件のあった選手村、オリンピックプール、オリンピックホール、そしてオリンピックシュタディオンも一望の元です。遠くアリアンツ・アレナ(バイエルン・ミュンヘンと1986ミュンヘンのホームスタジアム)も見られました。
オリンピックシュタディオンは、トラックのタータンもフィールドの芝生も剥がされ、ピッチはアスファルトが張ってありました。なんかちょっと寂しい。

テレビ塔を降りて、スイミングプール、スポーツホールに行ってみましたが、現役の体育館として活躍しているようです。東京オリンピックのプールは、水泳の営業を辞めてしまいコンサート会場になっていますが(ミュンヘンのオリンピックシュタディオンもロックのコンサートとかやっているらしく、クィーンの衣装とか飾ってありました)、ミュンヘンもベルリンもスイミングプールとして機能しているようです。
シュタディオンを1周回って優勝者記念額を捜します。しかし、パレスチナゲリラの被害者の慰霊碑は見つかりました(ユダヤ人の被害者名はヘブライで記載されていたので読めませんでしたが、一人だけドイツ人の警官"anton fliegerbauer"さんは良くわかりました)。
肝心の優勝額は見つからず、係員の人に聞いてみると、
「最初のコーナーを回った右にあるよ」と教えてくれました。さっそく行ってみるとバックスタンドの外側、土の斜面に階段状のアルミの銘版を見つけました。
競技別に女子、男子の順に掲額されています。
驚いたのは男子バレーボールの銘版。競技名と選手名は他の競技と同じなのですが、明らかに誰かの手によって指導陣の名前がテプラで加えられていることでした。
「Volley Manner H・C YASUTAKA・MATUDAIRA」は良いにしても「ASISU・C TOSHIE・MATUDAIRA」は拙いでしょう。松平さんの奥様はアシスタントコーチとして登録されていませんからね。「2C・NAOHIRO・IKEDA」「TR・MASARU・SAITOU」となっているたのはともかく。

そんな事を確認してから、気持ちの良い御散歩を終え、ミュンヘン・ハウプトバーンホフに急ぎます。12時38分発のICEでアウグスブルグへ。

昨日と同じ経路で、モーツアルトハウスに向いました。途中FCアウグスブルグのファンショップでXLの長袖ゲームシャツを19.95ユーロで購入。XLだけが1枚だけ残っていたのです。これもなにかの運命でしょう。

さて、モーツアルトハウスまで、結局歩くハメに。だってトラムはレール修理中で走っていないのです。
モーツアルトハウス自体は、別に素晴らしい施設でした。中は綺麗に改装されていて、レオポルド・モーツアルトの時代18世紀中期の庶民の暮らしぶりが良く分りました。それに入場料3.5ユーロを払えば、日本語のオーディオガイドが貸してもらえ、部屋に入るごとに展示物の解説をしてくれます。
レオポルドが、どんな家系に生まれ、そしていかに音楽家になり(代々、大工とか本の製本屋さんをしていたようです)、そして息子たちをどのように育てたか。良く分りました。

アウグスブルグのハウプトバーンホフに戻り、メディアシャトルでスタジアム・メディアセンターへ。
結構な混み具合でした。
1時間前にスターティングメンバーが発表されます。
日本女子のスターティングラインアップは、GK海堀(ラガッツァ高槻)。DF近賀(湘南学院)、岩清水(日テレベレーザ)、熊谷(常磐木学園)、鮫島(常磐木学園)。MF澤(読売ベレーザ)、阪口(ラガッツァ高槻)のダブルボランチ、右翼が大野(日テレベレーザ)、左翼が宮間(岡山湯郷ベーレ)。FW安藤(宇都宮女子)、永里(日テレベレーザ)。中盤ボックス4:4:2の不動の布陣です。
イングランド女子の先発は、GKバーズレイ。DFはA.スコット、ブラッドリー、ストネー、ユニット。
MFはJ.スコット、アサンテのダブルボランチ、右翼がキーネー、左翼がクラーク、トップ下がスミス。FWホワイト。4:2:3:1の布陣です。
午後6時15分、イングランドのキックオフで試合開始。

日本はポゼッション上げるつもりか、DF陣でのパス回しが多くて崩しのパスがありません。ポゼションは55%とイングランドを上回りましたが、ワントップのイングランドでDF同士でパスを繋いでも仕方ありません。
日本は全体に動きが悪くて、永里、大野、澤あたりにイージーミスが多すぎたようです。試合後のインタビューで澤が、
「ちよっと、この3日間でトレーニングがキツすぎて疲れが溜まっていたのかもしれません」と語っていましたが、全般的に選手の動き出しが遅く、明らかにコンディションミスだったかもしれません。
そんな時、前半9分にロングスローインからホワイトがニアでシュート。日本危うし。
15分、イングランドは自陣からロングスルー、ホワイトが日本DF2人の間をかいくぐりループシュート。先制します。
この1点は大きかった。日本は防戦一方、何度も危ないシーンを迎えますが、なんとか前半は1失点で凌ぎます。
アデショナルタイム1分25秒、シェナード主審がハーフタイムを宣します。

後半、なんとか同点に追いつきたい日本。引き分けなら日本が勝ち点で上回り1位抜けが出来ます。
次の1点が勝負の大きな分かれ目でした。
5分、日本は宮間が右サイドからフリーキック、ニアにフリーで飛び込んだ永里がボレーシュート。惜しくもシュートは右へ外れました。これが入っていれば……。
11分、日本はFW安藤に替え丸山(東京経営短大附属村田女子)をピッチに送ります。
21分、ふたたびイングランドは前がかりになった日本DFラインの背後をつく1発スルーパス。中から右サイドに走り込んだアルコ(後半17分にFWスミスと交替)が海堀と1対1になりシュート。2点目を奪いました。
2点を取り返せば1位抜けの可能性がある日本女子。30分にMF阪口に替え切り札・岩渕(日テレベレーザ)を投入。宮間をボランチに下げ、丸山を右翼に。
しかし、日本の攻撃は機能しませんでした。イングランドは4DFをゴール前に張り付け、まったく日本に攻めるスペースを与えませんでした。日本はバイタルエリアからロングシュートを放つか、クロスをむやみぬ入れるだけ。それも不正確でゴールマウスを捕らえる事ができません。
アデショナルタイム2分19秒。2-0。点差以上に完敗の試合でした。

これで日本はBグループ2位が決定。この後8時45分キックオフのドイツvs.フランスの勝者(引き分けの場合は得失点差で上回るフランスが1位)と7月9日(土)ボルフスブルグで8時45分キックオフで準々決勝を戦います。

そのAグループの1位決定戦ドイツvs.フランス戦をスタジアムメディアセンターで見て、今日もユアサさんに車で駅まで送っていただき、とりあえず列車が走って来るのを待ちました。
そこから先はどうなるのか。またまたマジカルツアーの始まりです。

そんな、スポーツ三昧でした。
<了>

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。