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福井まで小旅行。念願の丸岡城と一乗谷を訪問。

早朝5時30分に起床。

本来なら、今日帰京して明日の取材に備えるところでしたが、そのサッカー女子早慶戦がコロナの影響で延期になりました。そのため帰京は月曜日にしました。

ぽっかり空いた週末2日間。ならば前々から念願であった丸岡城訪問を実行に移すことにしました。
手早く朝のルーティーンを済ませ、7時に自転車で家にでます。
JR枇杷島駅の駐輪場に自転車を預けて東海道線を西下します。

枇杷島7時8分→7時45分大垣8時10分→8時44分米原。ここまではオンスケでした。
ところが人身事故があったらしく、米原以降のダイヤはめちゃくちゃになっていきます。
乗り継ぎのところで、無理やりに後の列車を遅らせ何とか連絡させようと、すべてのタイムテーブルは遅れ気味に。そして「青春18きっぷ」ホルダーにとっては辛い、
「乗り継ぐ時間だけの乗り換え」という辛い旅になります。

米原9時発の近江塩津行きが8分遅れ。近江塩津の乗り換えが、おそらく最悪。エレベータもエスカレータもなく、ただただ長い通路と階段。jRの全駅の中でも最悪かもしれません。
ここでも乗り換えて湖西線から北陸線に入る敦賀行きに乗り換えるだけ。
敦賀でも福井行きの各停に乗り換えてすぐ出発。この辺りになると、もう座ることもできない中途半端な混雑。
福井10時13分発金沢行きは、やや余裕がありオンスケに。丸岡駅を通り越し、芦原温泉に11時29分着。ここからバスで丸岡城に向かいます。ちょうど駅トイレによって用を足し、バス停に11時40分発の丸岡城行きのバスが来ました。

現在、日本には江戸時代以前に建築された天守閣(「現存天守閣」と呼ばれる)が12あります。私は、そのうち10城の天守閣に登城しています(弘前、松本、犬山、彦根、姫路、松江、丸亀、伊予松山、宇和島、高知)。残るは今日登城を目指した丸岡と備中松山です。
体力の衰えを考えれば、そろそろ完登しないときつくなります。なんとか、今年の夏には制覇したい。

芦原温泉駅から20分ほどでバスは丸岡の中心部に入ってきました。
丸岡城へのアクセスが、芦原温泉からと福井駅からしかないわけがよくわかりました。JR北陸線は街のはずれを走っており、観光地からしかアクセスがないのも当然です。丸岡駅は、よくある話ですが、街の中心部から外れたところにあり、ほとんど機能していない感じです(お城からは歩いて40分ほどかかるそうです)。
JR丸岡駅周辺が閑散としていたのに、さすが丸岡城の周りは城下町の佇まいを残していました。サッカーの丸岡高校は名門ですが、城下町もなかなかのものです。

バスは平山城の麓の観光センターに12時頃到着。
徒歩10分ほどで天守閣に到着。途中の券売所で入場券450円を購入。長い階段を登り、靴を脱ぎスリッパに履き替えて入場。
外から見ると2階建てに見える(屋根が二層)が内部は3階になっています。木造の重厚な造り。日本最古の天守閣と言われるだけに柱も太いし、造りも頑丈。戦後直後の福井大震災で倒壊したということだが、逆に地震の規模の大きさを想像させました。
角度67度という梯子のような階段を登り、2階、3階へと上がります。
最上階の3階に上がると、さすがに眺めが素晴らしい。殿様になったような気分です。また、気温30度超えの気温ですが、沢木耕太郎が「深夜特急」で書いた「ブリーズ・イズ・ナイス(そよ風が素敵だ)」という感じでした。これは高知城に登城した時と同じ印象です。
夏のまぶしい光の中で30分ほど丸岡の景色を舐めまわし、天守閣を後にしました。

福井駅に戻るバスが1時間に1本ほどしかなく、観光センターで昼食。「福井人定食」(ソースカツ丼と蕎麦のセット)を食べ、時間をつぶしました。
13時50分にバスに乗り福井駅に向かいます。いくつもの大型スーパーマーケットや総合病院を経由し40分ほどで福井駅に到着。
まだ2時40分。福井には土地勘がなく(「高校サッカー年鑑」という本に携わっていたので全国高校総体や国民体育大会の取材で40年近く取材に回っていたので、47都道府県で行っていないのは福井県と和歌山県くらい)、福井は通過したことはあるが宿泊したことはありません。唯一のチャンスは鯖江で行われた体操の世界選手権でしたが、何かの都合で取材できませんでした。

福井県で丸岡城の他に行ってみたいところがひとつありました。朝倉氏が蟠踞した一乗谷です。
ちょうど福井駅の時刻表を見たら越美北線の電車が14時54分発にあり、思わずワンマンカーに飛び乗ってしまいました。15時すぎに一乗谷駅に着き、そこから歩いて2kmほどの朝倉氏の遺跡に向かいます。
ところが日差しは強い。あとで気がついたのですが、緩やかな登りみちはダメージになりました。
なんとか入り口の門跡である下城戸を通過。その後も日陰のない一本道を山に向かって歩きます。
遺跡にについた頃は、もうヘトヘトでした。

なんとか遺跡の中心部、朝倉館跡と復元町並は、なんとか見学しましたが、山城や一番奥の上城戸には達することができませんでした。遺跡は、あまりにも広大で、ちょっとなめていたかもしれません。
でも、明智光秀が美濃を追われてから織田信長に仕えるまで10年ほど、ここで暮らしたと思うと感慨深いものがありました。

遺跡前から福井駅までバスがあったのですが、1時間ほど待たねばならず、仕方なくJR一乗谷駅まで戻って上り電車を待ったのですが、18時代は1本もなし。待っていても仕方がないので下りの越前大野行きに乗り時間を潰すことにしました。
19時15分、越前大野着。18分発の福井行きに大急ぎに乗り換え、戻ってきました。
これなら一乗谷は諦めて越前大野城(復興天守閣があります)に登城するのも良かったかも。後の祭りです。
私は、帰りの電車に福井まで乗ってしまったのですが、多くの乗客が二つ手前の越前花道で降りる。ここで降りなかったのが大きなミスでした。
私が乗った福井行きが、まさに福井駅に着く直前、敦賀行きの電車が出て行きました。
調べたところ、次の敦賀行き各停は20時58分まで無い。この電車に乗っても、名古屋までは帰れないでしょう。
その前に、20時55分発の特急しらさぎに乗れば、米原で名古屋方面に行く各停に乗り継げます。仕方ない。2890円(乗車券+特急券)を購入して特急に乗りました。
在来線の特急に乗るのは久しぶり。ついでに缶ビールなど買ってしまい優雅な旅になりました。

米原に22時1分着。22時7分発の豊橋行き快速で尾張一宮に。そこで各停に乗り換え23時25分、枇杷島に無事帰ってきました。

23時30分過ぎ、帰宅。
缶ビールも飲まずに寝たスポーツ三昧でした。
<了>

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