SSブログ

名古屋スティ6日目。日航機墜落事故から35年に思うこと。

熱中症警戒アラート発令中の愛知県に来ています。

3連休がすぎ、お盆に入る直前の普通の8月の平日です。

朝のルーティーンを済ませ、高校野球の交流戦を見ながらファブリ世界名曲集のデジタル化を続行。
今日は第18巻ベートーヴェンⅡの交響曲第6番へ長調 作品68<田園>。第19巻ベートーヴェンⅢピアノソナタ第8番<悲愴>、ピアノソナタ第14番<月光>の3曲を聴きました。
全60巻の名曲全集もようやくウィーン古典派に入っています。

さて、今日8月12日は、35年前の1985年に日航機墜落事故があった日です。
当日は、カメラマンさん3人と中央高速を名古屋方面から東京に向かっていました。
事故の前日、神戸でサッカーの国際試合(確か日本代表vs.香港代表戦)を取材し、京都の西山高校で高校女子サッカー大会を取材。帰路の途中でした。
上諏訪のサービスエリアで休憩していると、公衆電話から気になる話し声が聞こえました。
運輸省の方がどこかに連絡している(当時はまだ携帯電話は普及していません)。どうやら大きな事故があったらしい。気になったので聞いてみると、
「この山の裏側あたりに日航のジャンボ機が墜落したらしい」
そんな話を聞き、ジャーナリスト魂に日がついた4人。この近くに泊まって、翌朝現場に行ってみよう、という話になりました。
その晩、テレビなどで情報を収集しましたが、墜落したのが群馬県ということで、現場に行くのは諦めました。翌日、帰りの中央高速の上でラジオで事の重大さを知ったような次第です。

後でわかったのですが、オリンピックの取材によく一緒に行っていたナガヤカメラマンさんが、現場にAFPの仕事で撮影に行っていたという話を聞きました。
また、毎日新聞のミツヤさんも取材に行かれ、迷子に成って捜索された、という話も聞きました。新聞記者の多くの人は、普通の革靴で現場に行ってしまい地元の靴屋さんでズックが売り切れになったた、という話も伺いました。
ナガヤカメラマンの話では、
「まさに地獄とはあの事でした」と語っていましたから、行かなくてよかったかな、とも思っています。

もう、あれから35年経ってしまったのですね。

今日の名古屋は37度超え。
もう私は1日中エアコンの効いた部屋で、テレビを見たり音楽を聴いたりしただけ。
夕方になって買い物に出かけましたが、本当に蒸し暑い。
しばらくは、この暑さと、こんな生活が続くのでしょう。

コロナ新規感染者は、東京が222人、愛知県は86人。寝中症の救急車の搬送者が66人というから、マスクをつけるかどうか迷うところ。

そんなスポーツ三昧でした。


nice!(0)  コメント(2) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。