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さて、何処へ旅に行こう初日。敦賀の「人道の港 敦賀ムゼウム」を訪問。

JR秋の乗り放題パスが、あと2日間残っています。

初日は、東京→名古屋に利用(実際は高田馬場→品川→金山に使用)しました。
最初の予定では、のと鉄道で穴水までいって鉄印をもらい1泊。帰りに2回トライした後に未だ行けずにいる敦賀の「人道の港 敦賀ゼノウム」を訪問しようと思っていました。
ところが、肝心の鉄印帳を東京の家に忘れてきてしまったのです。歳を取るとこういう失敗が多くなります(鉄印は、原則として収集している証拠に鉄印長を見せないとゲットできない。実際に乗車していないのにネットで購入される事を防ぐため)。
ならば、今日は日帰りで敦賀まで行ってみようと、朝8時すぎに出発。自転車でJR枇杷島駅まで行き、自転車をデポ。北陸路を目指しました。

敦賀には、昨年秋に妹の家族と白髭家先祖代々の墓参り(滋賀県長浜市にあります)に行ったついでに、家族旅行のご相伴にあずかり、初めて訪問しました。
これまで福井県は、通過したことはありましたが、宿泊したことはありませんでした(国体だ、高校総体だ、と全国を取材紀行していますが、福井県と和歌山県の2県のみ、宿泊したことがありませんでした)。コロナ禍にもかかわらず福井県は感染者が少なく、観光の穴場みたいな感じになっており、海の近くの風光明媚な敦賀を、すっっかり気に入ってしまいました。
そこで驚いたのは戦前の敦賀は、ウラジオストックと国際航路が結ばれており(東京から敦賀への国際連絡列車も走っていたそうです。考えてみれば日ソ中立条約の恩恵を受けて昭和20年8月8日までは日本とソ連は友好国だったのです。与謝野晶子も松岡洋祐も敦賀から渡航したそうです)、日本と大陸を結ぶ架け橋となっていた港だったのです。これは知りませんでした。下関が釜山と関釜フェリーで朝鮮半島と結ばれており、長崎と中国の魔都・上海と一昼夜で結ばれていたのは知っていたのですが、敦賀とウラジオストックが結ばれていたとは気が付きませんでした。

そんな関係で、第1次世界大戦直後にポーランド孤児がシベリアから日本経由で母国に帰る時、敦賀に来ているし、有名な杉原千畝がリトアニアで「命のヴィザ」を発給、シベリア鉄道経由で来日した時もユダヤ人の多くはウラジオストック〜敦賀の国際航路えお利用しています。
そんな事を記念して、敦賀に「ゼノウム」があり、昨年2回訪問したのにもかかわらず、長期改修中で訪問する事が出来なかったのです。
杉原先生は、岐阜県の出身で愛知県立第五中学(現・瑞陵高校)OBで私とも地縁があり、ぜひ一度訪問したいと思っていました(妹のご主人は瑞陵高校のOBです)。今日、念願の訪問が叶いました。

枇杷島8:36→8:54尾張一ノ宮8:57→大垣9:43→米原11:01→11:34近江塩津12:01→12:15敦賀。
相も変わらず、近江塩津駅の乗り換えは最悪です。あんな不思議な駅の設計は、常磐線のJヴィレッヂ駅と双璧ではないでしょうか。改善を要求します。
秋の行楽シーズン(本当は今日まで三連休でしたが、東京オリンピック2021のおかげで、今日のスポーツの日は平日です)でお天気もよし。
敦賀駅12時30分発の「ぐるっと敦賀周遊バス」に乗れました。
運転手さんのミス(?)で1日パスが購入できず。200円で1回券切符購入。
金ヶ崎緑地で下車。平日というこちで、街は人通りも車も少ない。

私が「ムゼウム」だと思っていた建物は、「金ヶ崎休憩所(観光案内所)」だったようで(ムゼウムと同じ時期に新装改装中だった)、本来のムゼウムは金ヶ崎駅寄りの、もっと大きな建物でした。昔の駅舎を利用してムゼウムの本館に利用しているようです。
金400円の入館料を収めて入館。午後1時少し前でしたが、1時から1階ホールで棺全体の解説映画が15分間ほど上映されました。ポーランド孤児とユダヤ人難民の敦賀来航の歴史が詳しく分かりました。

ホールの奥から、ポーランド孤児、ユダヤ人難民の敦賀来航の様子が、資料と共に詳しく解説してありました。アニメの画面解説付きで大変わかりやすい。外国語は、英語だけでしたが私にも理解出来る英語だったので、大体の外国人も大常備でしょう。まあ、できれば中国語と韓国語、ロシア語もあれば完璧ですけどね(パンフレットは3ヶ国語の分も常備してありました)。
びっくりしたのは、杉原先生や、敦賀来航に尺力した方々のインタビューの肉声を聞くことができたことです。貴重な資料です。杉原先生の「何も特別なことをしたという感慨はない。ただ、仕事をしただけという感じです」という言葉が心を打ちます。彼は、本国外務省の命令を無視したということで、その後冷遇を受けたということです。そして何十年後に、ユダヤ人難民の人々の感謝の言葉で有名になったということです。
2階は、駅のレストランだったところで、港の眺めも良く、杉原千畝の執務室を模した大きな机に座る元もできました。訪問者ノートもあり、自由に書き込みが出来ます。
1時間30分ほどの滞在時間でしたが、気持ちの良い気分になれた時間でした。来てよかった。

あまりの空腹で、歩いて10分ほどの赤レンガ倉庫まで歩き、イタリアンレストランでアサリのパスタ(トマトスープ風)を食しました。ワインはやめときました。
赤レンガ倉庫内のジオラマ館で、敦賀港周辺とウラジオストックも模したNゲージの大パノラマを鑑賞し、15:41発のバスに乗って敦賀駅に帰ってきました。

敦賀16:30→長浜16:57→米原17:30→大垣18:11尾張一ノ宮18:39→19:00枇杷島
と順調に帰ってきました。
アオキスーパーに寄って帰ってきました。

東京都の新期感染者は49人。月曜日とはいえ50人を切りました。愛知県も15人。大阪府は東京都と同数の49人。もう一息ですね。ゼロ・コロナは無理としても年末の第6波を考えれば、なるべく少なくしておきたいところです。

今日、Jリーグから「ルバンカップ決勝」の取材申請の案内が来ていました。
読んでみてびっくり。だって取材する人は、ワクチンパスポートで接種の確認をすると書いてあったことです。
お役所側は「海外旅行をする人のみワクチンパスポートを発行する」としているのに、Jリーグ側は、
「取材するものはワクチンパスポート必携のこと」としていること。いずれ、そういう事で経済を回していかなければいけないと思うけど、お役所の体制が整っていないのに諸団体が「必携」なんて謳って良いものなのか? チェアマンに伺いたいところです。

そんなスポーツ三昧でした。
<了>

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