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不要不急の外出は避け自宅で「トラ!トラ!トラ!」を鑑賞。

本日の愛知県の新型コロナの新規感染者は198人。東京都の352人に比べれば少ないですが油断ならない数字です。
昨日から、倦怠感や鼻水が出る症状があり、体温は35.7度と低いのですが、風邪をひいてしまったようです。
今日は、自重して自宅で自粛します。

12月8日といえば79年前に太平洋戦争が始まった日。
毎年、この日には映画「トラ!トラ!トラ!」を鑑賞することにしています。
アメリカで製作されたハワイ真珠湾奇襲の映画です。

私は好戦主義者でもなければ右翼でもありません。
ただ、近代戦争は総力戦と言われますが、局地戦では圧倒的に劣る日本でも、大国アメリカやロシアに勝った真珠湾攻撃や日本海海戦(ロシアのバルチック艦隊を日本連合艦隊が撃滅した)の勝利は、記憶にとどめておいて良い一事であると思っています。
それはスポーツでも言える事で、圧倒的に劣っている相手に対しても知恵を絞って作戦を練れば勝機もある、という事につながるように思えるのです。

戦前、あれだけアメリカと戦う事の無謀さを説いていた山本五十六連合艦隊艦長が、
「やれ、と言われれば半年や一年は暴れてみせましょう。ただし、そのあとは外交で収めていただきたい」と時の首相・近衛秀麿に言った話は有名です。
山本は、海軍武官としてアメリカのハーバードに留学しており、勉学よりも見聞を広げることに力を注いだようですが、早くから航空機での戦争の有用性を持論とし、艦隊至上主義に反対した異端の海軍軍人でした。
ハワイ奇襲作戦の機動部隊の責任者が艦隊至上主義者の南雲中将だった皮肉。
空母を中心とした時代に入っているのに大和とか武蔵といった巨艦を作ってしまう日本海軍。
全てが山本に逆風でした。

映画を見た後、「山本五十六の真実」というドキュメントも見ました。
新潟県長岡の貧しい家から長岡中学を経て海軍兵学校に進み海軍軍人の道に足を踏み入れた山本。
日露戦争で左指の中指と人差し指を失いながら、もともとは現場の人というよりは武官として政治の道に入った山本でしたが、結局感情衆生主義の主流派から疎まれ、またドイツ、イタリアとの三国同盟に反対したせいで政治の舞台から遠ざけられ連合艦隊司令官になるという、これまた皮肉。
戦争に反対しながらアメリカに勝つための戦いを考えざるをえなかった非情さ。

昭和18年に、死に場所を求めたような無謀な前線視察。
これで名誉の戦死となってしまうのですが、死して元帥となり、国葬で送られた一生でした。

山本五十六がブーゲンビリアで撃墜された一式陸攻は、長岡の博物館に保存されています。
山本の生家も長岡に残されています。
私は訪れたことがありますが、是非一度訪れることをお勧めします。

寝る前に体温を測ったら36.8度。まずいですね。
早く寝ることにしたスポーツ三昧でした。

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