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東京オリンピック1964と2021を比較検討して思うこと。

新しい週が始まりました。
今日は七五三の日。当該年齢のお子様がいる方、おめでとうございます。

東京ベースから名古屋に移って8日目。
すっかり怠け者になっています。

午前中からプロ野球とサッカーJリーグのコロナ対策連絡会議のZoom記者会見などあったのですが、テレビの大谷翔平の帰国記者会見(於・日本記者クラブ)などテレビで見てしまったので、今回も記者会見はパスしてしまいました。
この会議は、毎回午前中に行われるので、なぜか取材するのを失念してしまいます。

午後は、プレミアムシネマで「博士の愛した数式」などという映画を見つつ、深津絵里さんは良い女優だな、と感心しながら2時間を過ごしてしまいました。

早めにヤマナカまで買い物に行き、帰宅。
夕方は、NHK BSPで「映像の世紀プレミアム 東京夢と幻想の1964年」という番組を鑑賞。
1964年の最初の東京オリンピックが、実際どんなものだったかを1964年の1月から大会が終わった後の12月まで、克明にレポートしていました。
驚くのは、開催直前のアンケートで「東京オリンピックに期待するか?」という質問に対して「期待する」と答えた人が2.2%しかいなかったこと。
当時の日本は、戦後から19年しか経っておらず、まだまだ貧しい。高度成長は、この後のことです。
庶民の大多数は、その日その日の暮らしのことで精一杯で、オリンピックどころではなかったということでしょう。
我が家は、景気のいい企業のサラリーマン中流家庭だったから「オリンピック」にある程度興味も持て、心待ちにできたのでしょう。恵まれていたのです。

番組によると、当時の東京は、ゴミ問題、交通渋滞に悩み、当時の国家予算の三分の一の予算を注ぎ込みインフラ整備にあたったそうです。
しかも、この年の東京地方は大変な干ばつで、敗戦当時350万の人口が1千万になり、ただでさえ水道が問題になっていたのに干ばつで「東京砂漠」と言われていたようです。
荒川から都心に水を引っ張るという計画も間に合わず、どうなることかと思われたが、8月後半にようやく雨が降り、事なきを得たようです。

東京オリンピック自体は、大成功でした。
フィルムを見ながら「これがオリンピックだよ」と思わず私は叫んでしまいました。
2021年に行われた無観客オリンピックは、あれはオリンピックの形をした国際スポーツ大会。
レガシーもムーブメントも感じられないスポーツ大会でした。
日本国政府、東京都、組織委員会の責任は重大です。
閉幕から3か月。なんの検証もされていないのは問題です。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、ということか。

1964年のオリンピック後、日本は大不況に陥ったそうです。
2021年は新型コロナのために助成金が出ましたが、1964年には不景気で助成金が出たそうです。
そりゃそうでしょう。国家予算の三分の一もつぎ込んだ公共事業がなくなってしまったのですから。
当時も、身分不相応に作ったスポーツ施設の後利用が問題になっていたようです。開高健氏は、
「立派な競技場の周辺には、マッチ箱のような住宅が密集している」と記事に書いたようです。
それまでの日本人の多くは、野球と大相撲以外のスポーツを、東京大会で初めて見たような状態だったようです。
隈研吾の作った新国立競技場、有明のアリーナ、プール、多くの体育館、そしてボート・カヌー場は、どうするのでしょう。ビートたけしは、
「ボート場で牡蠣が取れるなら、”オリンピック牡蠣”とかいって売ればいいのに」などと毒舌を吐いていました。
困ったものです。
東京オリンピック以来、あれらの会場で競技会は開かれていない(カヌーのスラロームは、先日全日本とNHK杯をやったみたいですが)。
組織委員会も、未だに収支決算は発表していません。
選手村の残った食材もすべて捨てたそうだし、もうメチャクチャです。

番組を見ながら、1964年と2021年の東京オリンピック、二つの大会の成否を考えてしまいました。

東京都の今日の新規感染者は7人。月曜日とはいえ今年最低の数字。愛知県は2人、大阪府は8人。これが底でしょうか。

そんなスポーツ三昧でした。

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