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ジャカルタ市内プチ観光後、インドネシアを離れる。

第18回アジア競技大会ジャカルタ・パレンバン 2018は、昨夜の閉会式で全日程を終了しました。
スケジュールは全て消化され、緩いセキュリティーにも関わらずテロなども起こらず、終わりました。インドネシアは、世界最大の回教国であり、世界中でテロの最大の元凶といわれるアルカイダ系の団体と、何らかの取引が存在したのではないか、との見方もあります。

まあ、事の真偽はともかく、無事に済んでよかったと思います。

6時45分起床。
もう少しゆっくりしても良かったのですが、グズグズしていても仕方がないので思いきって起きてしましました。
シャワーを浴び、朝食を摂り、朝のルーティンを済ませ帰り支度に入ります。
荷造り、あまり好きな作業ではありませんが、やらないと仕方がない。
衣類をキャスターバッグに入れて、PCと関連コード、薬、血圧計類はナップザックに。
その他、必要なものは大小二つのショルダーバッグに、残りの大会資料などは、プレスキッドでいただいたエメラルドグリーンの361°バッグに入れました。なんと5個。わたしの旅行は荷物との戦いです。
使い残したティッシュ、シャンプーの類は、ホテルに寄付(?)することにしました。

せっかくジャカルタに来たのに、競技場とMPCしか行っていないことに気が付きました。
飛行機は夜の便、時間があったので、せめてホテル周辺だけでも1~2時間散歩でもするか。
11時に荷物をホテルに預けて(ホテルのスタッフルームに入れておくだけ)、散策に出かけました。

わたしがジャカルタで18拍したワンダーロフトホステルは、ジャカルタのダウンタウン、コタにあります。インドネシアの旧宗主国オランダの東インド会社があったところで、見ようによってはヨーロッパの臭いがする場所です。家の建て方がオランダのアムステルダムを思わせるし、水は汚いが運河があったり、広い広場があったり。ある意味オランダ領インドシナの中心だったところです。
まずホテルを出て左の方向に。さらに左折すると大きな広場に出ます。ここがコタの中心ファタビラ広場。周辺には博物館や有名なカフェがたくさんあります。インドネシア鉄道発祥の地の記念碑などもあります。レンタルサイクル屋が色鮮やかな自転車を貸してくれます。
ぐるっと回って、昨日も訪問したコタ駅前に出て、毎晩わたしがホテルに帰るとき、タクシーの運ちゃんに目印にしたインドネシア銀行博物館にいってみましたが、今日は月曜日。日本と同様、当地も博物館の類はすべて休館日。ジャカルタ歴史博物館、ワヤン博物館、絵画・陶芸博物館にも入れzy。残念です。
ホテルの反対側を横切り運河に出ました。ガイドブックによると歩いて15分ほどの距離に跳ね橋があると知り、見にいきました。運河沿いは整備されていますが、道一つ入ると庶民のディープな世界。熱いので男たちが上半身裸で昼寝をしています。
跳ね橋は、工事現場のような塀で囲まれており、なんだか見に行くほどのものではありんませんでした。しかし、普通の道を挟んで川の向こう側に鉄道が走っており、当地で初めて電車を見ました。

広場に戻り、有名なオランダ領時代から残っているカフェバタビアに入り、昼食を。なんとなくコロニアルな感じが残っており、インドネシアに来て初めてまともなレストランで食事をしました。インドネシアの有名料理ナシゴレンとミネラル・ウォーターで15万ルピア(日本円で1300円ほど)。高額といってもよいでしょう。
まあ、いちおうジャカルタにお別れを言っても良いかなと思い、そこからホテルで荷物をピックアップ。ホテルを2時に出発、タクシーでスカルノハッタ国際空港に向かいました。
なかなかタクシーがつかまらなかったのですが、ホテル前にいたバイクタクシーの親分みたいな人が助けてくれました。
タクシーはk峰足道路を使い、案外早い時間に到着。距離的にも大したことはないのでしょう。マレーシア航空が葉着する新しくできた第3ターミナルは立派です。
タクシー料金は10万ちょっと、それに高速料金だから12万くらいだと思いましたが、最後のジャカルタのタクシーということで20万払うと、律義にも運ちゃんお釣りを払おうとするので、「結構です」と合図すると、とっても喜んでいました。少しルピアに余裕があったので、18日間無事におわったのでお礼の意味もありました。

空港に着いたのが2時30分すぎ、チェックインは17時50分くらいから。のんびりと空港内を楽しみました。けっこう、しゃぶしゃぶ屋とか吉野家とか丸亀ウドンなんて店もあります。日本食ブームのようです。アジア競技大会開催ということで、子どもが遊べるようフットサルのコート、バドミントンコート、卓球場などが作って知りました。


国際線は3時間前にはチッェックイン出来るだろうとひとつ前の便の掲示しか出ていなかったが、荷物をを持っていくと受け付けてくれました。
「クアラルンプールで1拍ですね。荷物は一度引き出しますか? それとも成田までダイレクトで?」と聞かれたので、
「成田までダイレクトスルーに」とお願いしました。そして希望通り通路側の席をくれました。

もうジャカルタでうろうろしていても仕方がないので、一目散に出向検査に。ここまではアジア競技大会のADカードの効力があり、待たずに出国。荷物検査も甘かったような。
そこまで済ますと急に空腹身に。適当にお店に入りナシゴレンを注文。本当は、ミーゴレン(焼きそば)が食べたかったのですが、こういうお店にミーゴレンは無いようです。料金は空港料金で高め。バタビアカフェより高かった。

クアラルンプールへの便オンスケで19時50分に飛び立ちました。あまり感慨はなく、やっと終わったな、という感じです。2時間のフライトですが、いちおう国際線、しっかり機内食も出ました。
午後10時50分、クアラルンプール着。時差がインドネシアと1時間あり、日本時間とは1時間の差になりました。
成田の便は明日9時50分発。時間があったので、せっかくマレーシアに来たのでマレーシアに入国することにしました。イミグレの係官に、
「入国の目的は?」
「トランジットです」
「何日くらいマレーシアに滞在予定?」
「1ナイト」と言う、と笑いながらパスポートにスタンプを押してくれました。

とりあえず税関を通り、入国。さっそく残っていたインドネシア・ルピアをマレーシア・ドルに両替え。インドネシアルピアの少額紙幣は「交換できません」と突き返されました。もし、日本円が突き返されたなら悲しいだろうな、と思いました。
5万ルピアが200ドル弱になりました。

外界に出ても特にやることもなし。1階から3階に上がって出国態勢に。明日の便のゲートを探しましたが、まだ画面に出ていない。トイレで歯を磨いて、ベンチを占拠(日本みたいにひじ掛けでセパレートになっていない)して1時前横になりました。

そんな帰国途上のスポーツ三昧でした。
<了>

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