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念願の鳥取城を訪問。そのあと松江まで足を伸ばし松江城に登閣する。

7時起床。今日も良いお天気。
朝食は、昨夜買っておいたヨーグルトと牛乳だけ。投薬11錠を流し込み8時30分にホテルを出ました。

とりあえず駅の観光案内に行き、鳥取城への行き方を聞きました。
バスの料金は、なんと100円。観光客というよりは、地元のお年寄りが使っているという感じです。
鳥取は、ともかく街を歩いている人が少ない。ただし車は多い。車の運転ができない老人がバスを気軽に利用している感じです。
鳥取市に来たのは、1985年のわかとり国体の開会式の取材に来た時以来です。市内のはずれにある皆生温泉に一泊、鳥取砂丘の観光には行きましたが、市内は布施運動公園にしか行っていません。
そのあとサッカー競技は米子市で行われたので、そちらに移ってしまい鳥取に滞在したのは1泊2日のみ。それ以来の鳥取です(そのあと鳥取でインターハイもあったのですが、その際もサッカーは米子での開催で鳥取市には来ていません)。
街中に石破さんのポスターがいっぱい貼ってありました。ここは石破さんのホームでした。
駅から10分ほどで「仁風閣・県立博物館」に到着。

バス停を降り、大手門ともいうべくお堀の橋を渡ると左手に博物館、右手に仁風閣と言う洋館がある。まず立派な西洋式庭園を持つ仁風閣へ。ここは大正天皇が皇太子時代に山陰地方を訪れた際、池田の殿様が皇太子と同妃殿下の宿泊先に建設したという立派な洋館。
65歳以上は入館料が無料というので、ありがたく恩恵にあずかることに。多分、生まれて初めての体験だと思います。2014年のFIFAブラジル大会のおり、サンパウロは60歳以上が公共交通料金が無料でしたが、その時はその恩恵には敢えて預かりませんでした。だから今回が史上初めての体験です。
ちょうど日本初のマラソン大会(大阪〜神戸間)に優勝した当地出身の綾木長之助の展示会をやっていて興味深かった。1912年のストックホルム・オリンピックに金栗四三と出場する予定であったが、事情により辞退したとあった。この人のことは詳しく知らなかったので、来てみてよかったと思いました。
どこかの小学生が熱心にメモを取りながら館内を回っていました。たまには教室を飛び出し、こういう授業もいいな、と思ったような次第。
秀吉スタンプラリーのスタンプは、県立博物館の方に置いてあるという。百名城のスタンプを手帳に押して、10時前には仁風閣を後にしました。

裏庭からお城に抜ける階段があり、そこを登って二の丸へ。下から見て天守台と思っていたのは、二の丸櫓の後らしい。本当の天守閣は、もう一つ上の山城の上にあるようでした。二の丸櫓の石垣も立派。鳥取市内が一望の下に眺められる。
本丸にも登ろうとしたのですが「クマに注意」という看板が大きく出ており、時間の関係もあり登乗は諦めました。次の機会に(?)。
唯一の現存する門をくぐって、県立博物館へ。

県立博物館に入館しないとスタンプは押せないようだったので、170円払って入館。こちらは70歳以上が無料、と言われ恩恵にはあずかれません。
でも、コインロッカーは無料だったし、秀吉スタンプラリーのスタンプも押せたので、まあ満足。なんといっても博物館の展示の充実ぶりがすごかった。恐竜の化石から弥生時代の出土品、それに鳥取城の歴史まで詳しく展示してありました。もう少し時間があったらじっくり見られたんだろうが、後の予定もありすっ飛ばしたような感じでした。
少し充実した気分で再び「仁風閣・県立博物館」バス停に。途中に「ふるさと」の作曲者が当地の出身でボタンを押すと様々な歌手が「ふるさと」を歌うという趣向のモニュメント。一曲聴きながらバスを待ちます。
11時30分過ぎに鳥取駅に帰ってきました。すると急に空腹を覚え、駅中のレストランで昼食を摂りました、そういえば朝ごはんをまともに食べていませんでした。
がっちり食べて、12時16分発の米子行きの列車に乗車。

山陰線の旅は、さらに西に進みます。
ワンマンディーゼルカーでローカル色は一層深まります。昔(1985年当時)は、ディーゼル機関車DD51が客車を引いていて、単線のために優等列車に抜かれる時は、スイッチバック式の待避線に入ったような記憶がありますが、もうそんなことはないようです。
単線とはいえ、対向列車とのすれ違いがあるため、ダイヤは正確に守らねばなりません。運航には複線よりも難しい面もありますが、見事な運営でした。伯耆大山も見事に雄姿を表していました。
14:08分米子着。地上にホームがある古いタイプの駅ですが、鳥取駅とは違い自動改札機がありました。新幹線で岡山と直結しているためでしょうか。
米子には、1985年の国体と、1995年の高校総体サッカー競技取材できていて、何日も滞在したのですが、隔世の感です。
14:39分米子発。15:09には島根県の県庁所在地に着きました。
松江に来たのは、1982年のくにびき国体以来。この時も報道員会議と開会式しか取材していません。サッカーは県西の益田で実施されたので、そちらに移動してしまいました。開会式で”暁の超特急”(確か川本信正先生の命名だと記憶しています)と言われた吉岡隆徳さんがエキシビジョンで小学生と走ったのを記憶しています。2004年の島根高校総体の際は、松江には滞在していないと思います。これまた鳥取県と同じような事情です。
駅の観光案内所で、「お城に行きたいのですが?」と尋ねると係りの女性が後ろの時計を睨んで、
「4時30分までに行かないと入館できませんので急いでください」と言って、2番か3番のバスに乗って県庁前まで行ってくださいと言われました。

バス代は片道200円。出雲大社や宍道湖を控えた松江は、観光都市として鳥取とはワンランク上の都会でした。バスには老人の姿は少なく、観光客が多い。
10分ほどで県庁前に到着。小山の上に松江城が見えます。その前に大きな岸清一の銅像が。ここが彼の出身地なのです。
修学旅行生が来ていました。コロナの影響は薄れつつあります。
松江城は、地元出身者の努力で、多くの施設が現存しています。もちろん、天守閣は現存12城の一つ。1982年の国体取材の際は、お城と小泉八雲の旧居は訪問しました。今回は時間の関係でお城だけです。

15分ほどで平山城を登入り本丸に。まずはチケットを700円で購入。体温測定、入館者シートに記入し手指の消毒をすると靴を持って入るビニール袋を1枚くれました。天守閣の入り口で靴を脱いで城に入ります。
中には展示物は多くはありません。昔の天守閣を、なるべくそのまま残そうというポリシーです。大黒柱とか、板張りで補強した柱などが、簡単な解説と共に照明を浴びています。感じとしては姫路城天守閣に近い。
松江城は、小規模天守閣だと思い込んでしましたが、それは大きな記憶違い。床面識では姫路城に、高さでは姫路城、松本城に次ぐ規模だそうです。4層5階、付櫓がついた立派な天守閣です。
階段は、なかなかにきつい。若いうちに登った方が良い国宝です。名古屋城のようにエレベータをつけろ、つけないで揉めるような事はありません。向井sのままです。
最上階に上がってみるとさすがに感動。現存天守閣には珍しく外廊がついていて眺めは抜群。宍道湖、伯耆大山、出雲地方が手にとるようです。日暮れも近かったので5時ギリギリまで粘りましたが、夕日には少し早かったようです。
私が本丸を出ると、門がギィ〜と閉められました。

再びバスで駅に帰ろうかと思ったのですが、駅方面に行く県庁のバス停がない。少し歩いて観光客が乗るようなバスで駅へ。行きは200円、帰りは220円。なんで?
帰りは、20:46発の快速スパーライナー鳥取行きに乗ると決めていたので7時までドトールで暇つぶし。タブレットを出して「英雄の選択」など見ておりました。
店員さんから「7時で閉店です」と告げられました。まあ、東京じゃあ考えられないですけど、ここは松江です。
まだ時間がある。夕食を食べることにしました。
やはり、ここは出雲そばです。多々良というお店に入り、天ぷらせいろを食しました。さすがにそばは美味い。しじみ丼も食べたかったですが、ご飯ものがおしまいというのが残念でした。

こうして時間を潰してもまだ1時間弱あります。待合室で「たけしのアンビリバボー」を見ていると、日本パラスポーツの父、中村さんの特集をやっていた。目頭を熱くしながら見ていたような次第。

20時46分発の列車は、予定より15分以上遅れて23時すぎに鳥取着。駅のセブンイレブンは、文字通り午後11時に閉まってしまいます。明日の朝食、今日の夜食を買おうと思ったのですが、何も買えずホテルに帰ります。
明日は、なぜか敦賀(秀吉スタンプラリーで日本海側の目的地は敦賀しか残っていない)です。始発の5時18分に旅をスタートしなければなりません。
2泊3日のGoToは時間の余裕なし。

そんなスポーツ三昧でした。
<了>

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