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GoTo 3日目、敦賀金ヶ崎を再訪。長浜城に寄って帰名する。

何と早朝4時に起床。
検温、血圧測定だけして身支度をし旅具を整えるだけでホテルを5時前にチェックアウト。
早朝の鳥取は肌寒い。

まだ駅構内のセブンイレブンは空いておらず、ホテルとは反対側のローソンへ行って朝食を買い込む。
始発の5:18発の智頭行きは、すでに4番ホームに入線していました。
早速乗り込み、朝食を胃袋に詰め込み、朝の投薬。

何故にこんなに早く起きて旅を続けるのか?
鳥取から「秀吉スタンプラリー」の再訪の地・敦賀金ヶ崎に行きたかったのですが、Yahooの乗り物検索で本当は日本海沿いに敦賀を目指すと時間がかかってしまう。早くても午後1時過ぎになってしまうのです。
一番早く行けるのは、智頭急行を使って山陽線の上郡に出て、姫路から湖西線経由の敦賀行きに乗車すれば11時には敦賀に着けます。
敦賀金ヶ崎の他にもう一箇所スタンプを押したかったので、この時間、方法になってしまいました。

智頭に着く5時58分頃、ようやく空が白々と明けてきました。うっすらと線路沿いに川が流れているのが見えてきました。智頭線も川沿いに走っていたことがわかります。
6時9分発の智頭急行線に乗車。この第3セクター線は、秋の乗り放題きっぷの対象外。上郡まで1320円を支払わなければなりません。ところが、この智頭線。まるでスイスの山岳鉄道のように景色が良い。これはお得な旅でした。
時間的に高校生の通学利用が多い。
単線非電化の路線ですが、時刻は正確。7時22分に上郡着。
すでに姫路方面行きの野洲行き快速が入線していたが、料金の支払いに手間取り、乗り換えホームの移動が複雑で大急ぎで走ります。跨線橋を越えて発車時間が過ぎた電車を指差し、
「姫路に行きますか?」と駅員さんに聞いたら、
「行きますよ。急いでください」と言われました。私が乗車したら電車のドアが閉まりました。
この電車に乗らないと敦賀に11時には着けません。
上郡7:27⇨7:59姫路8:10⇨11:15敦賀。長い編成の後方は近江塩津止まり。前4両だけ敦賀行きで、それに乗れて座れたので一安心。通勤通学で超満員の神戸ー大阪ー京都は寝込んでいました。

9月19日から1泊2日で妹の一家と敦賀に来たのですが、車で来たので敦賀駅は初めて。
全く様子がわかりません。とりあえずナップザックをコインロッカーに預け(300円だったのが嬉しい)、観光案内所で「金ヶ崎に行きたいのですが?」と聞くと、「3番のりばから11時30分発の観光周遊バスが出ますからそれに乗って」と言われました。時計を見たら出発の2分前。走りました。

金ヶ崎には、9月20日に来ていて頂上まで登っているので社務所にあるスタンプを押すのは造作もない。
ここは織田信長が朝倉攻めの際、妹の婿で同盟を結んでいた浅井義政の裏切りに遭い、挟み撃ちにあった際、羽柴秀吉と明智光秀が殿を勤めて九死に一生を得た場所です。
一応、神社にお参りして山を下り、ランプ小屋を覗いて金ヶ崎緑地へ。
9月20日にはリニュアル中だった 「人道の港 敦賀ムゼウム」(敦賀港に到着したポーランド孤児やユダヤ難民の人々を紹介する)のは、 11月3日からの再開とか。今回も見られず。残念。

緑地の反対側にある敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)を訪問しました。こちらは開館中。
新型コロナ対策で、手指の消毒、体温測定、氏名・電話番号の届け出はありましたが入場は無料。
敦賀は明治38年にシベリア鉄道が開通すると、ウラジオストックまで定期航路ができ、それに伴いヨーロッパへの日本側の玄関口になりました。そこで新橋から敦賀港の駅まで国際連絡列車が運行されるようになり一躍国際舞台に登場します。航空機が発達した現代では考えられません。
私も長崎〜上海、下関〜釜山などの国際航路があったことは知っていましたが、敦賀〜ウラジオストックという航路は知りませんでした。
国際連盟の脱退を宣言した松岡外相も、与謝野鉄幹を追ってパリに向かった与謝野晶子も敦賀から旅立ったとは思いませんでした。晶子が旅立った時は平塚らいてうら500人もの人が見送ったと言われています。8人の子供を残して夫を追った晶子。その舞台になったのも、ここ敦賀港駅でした。
小洒落た洋館は2階に貴重な資料も多く、鉄ちゃんは必ず足を運ぶべき。往時の敦賀港のジオラマが圧巻です。
コロナで一躍有名になったダイヤモンドプリンセスが入港することで有名な敦賀港。現在は海上保安庁の船とか、フェリー、火力発電所に石炭を運ぶ貨物船くらいしか見受けられませんが、太平洋戦争までは国際航路が全盛だったのです。
そのロマンに酔ったスポーツ三昧でした。

時間の関係で今日の敦賀観光はここまで。バスで敦賀駅に戻ります。
7-11でお弁当を買い、14:23発の電車で近江塩津に移動。ここでJR史上最悪不便な乗り換え。
15:07発の北陸線電車で長浜へ。
駅から正面に見える長浜城へ。

駅舎から道一つ隔てたお城のある公園を歩いていると軽トラに乗ったおじさんがやってきて、
「公園は歩くな」だって。「?」。
長浜城は、天下取り・豊臣秀吉が最初に城主になったお城として知られていますが、長浜市の歴史博物館という建物で、もちろん再興天守閣(本物の天守閣跡は近くにある)であるし、「日本百名城」にもなっていません。
入場料は410円。手指の消毒、体温測定、入館届けを記入して入場。内部の展示物は充実しているし、秀吉と長浜の関係も詳しく知ることができます。
最上階から見る琵琶湖の景色は、昨日の松江城から見た宍道湖の景色に勝るとも劣らない。
現在、日本300名城を選んでいる最中だと聞きましたが、新しい100名城には入るのでは、とも思います。
私は、長浜城は3回目くらいの訪問ですし、秀吉スタンプラリーのスタンプをゲットできた(少しインクが薄い)ので、それだけで満足。あと残りは8箇所です。

長浜16:57発の米原行きで帰路につきます。
一応の目的を達成したので睡魔が襲ってきました。
米原17:33⇨大垣18:11⇨(大垣行きの電車が突然に豊橋行きの快速になった)尾張一宮18:39⇨の各停に乗り換えて枇杷島に帰ってきました。最後の3駅はラッシュ時ということで座れず。

駐輪場で300円支払い自転車をピックアップ。
アオキスーパーで買い物を済ませて7時すぎに帰宅。
早めに夕食を済ませ、早めに床に就いたスポーツ三昧でした。

やれやれ、GoToを安くやろうと思うとハードな旅になってしまいます。
少し疲れました。
<了>

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