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東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長に橋本聖子氏が就任。

昨日、風邪が治りきっていないのに名古屋の都心に出かけてしまったので、今日は体調不良。

朝の検温では36.2度だったので新型コロナではないと思いますが、息苦しくて軽い肺炎のような症状。
朝のルーティーンだけ済ませて再び寝床に。

ワイドショーなどうつらうつら見ていると、どうやら新しい東京オリ・パラ組織委員会会長に橋本聖子オリパラ大臣が選ばれたらしい。
菅総理が「透明性」を強調した新会長千人でしたが、結局検討委員会のメンバーも議事録も公表されず、全くの出来レースの様相を呈しました。
オリンピック開幕まで、あと5か月。聖火リレーも1か月後に迫っています。
新しい会長をなるべく早く選ばないといけないし、今回の会長交代劇の要因を考えれば、橋本さんの選任は「妥当」であったかもしれません。

橋本聖子さんは、個人的に私がオリンピックを現地で取材した時期に活躍された選手で、いろいろと思い出があります。
さすがに1984年のサラエボ冬季オリンピックは取材制定ませんが、カルガリー冬季五輪から現地で取材しています。
カルガリーでは、開会式で日本選手団の旗手を務めた橋本さん。気温マイナス15度のマクマホン・スタジアム(カナディアンフットボールのスタジアムで6万人くらい収容)の寒さは忘れられません(売店で買ったホットドッグが凍るほどでした)。スピードスケートでは、1人で500m、1000m、1500m、3000m、5000m5種目に参加。東ドイツ女子が圧倒的に強い大会で15個のメダルのうち10個のメダルを獲得しましたが、5種目全種目に8位入賞したのは橋本さんだけ。世界選手権のように総合で順位を争うルールだったら間違い無く金メダルでした。

4年後のアルベールビル冬季五輪。この大会は、すでにスケートではピークを過ぎていた聖子さん。フランスは、スピードスケートがあまりメジャーで無く、会場も屋外で小ぶりなスタジアムでした。
1500mは、入賞の可能性も低いと思われたのですが、ライバルたちが悪コンディションで記録が出ず、なんとか聖子さんが3位に食い込みました。レース後の囲み取材で私が、
「長いこと選手生活を続けて頑張っているとこういう事もあるんですかね?」と失礼な質問をしたら、
「そうですね。神様が銅メダルをプレゼントしてくれたんだと思います」と答えてくれました。
初めてオリンピックの正式な記者証を手にした未熟な記者の思い出です。

当時は、国体なんかでもスピードスケートの一流選手がよく出場していました。
山梨国体では、所属する富士急のホームでの国体。立派なスケート場が新設され、後に「セイコオーバル」と名付けられた屋外スケート場で開催されました。
リレーで、前走者が転倒してしまいバトンを取りに逆走して失格したこともありました。

夏のオリンピックにも自転車競技で出場。冬4回、夏3回は女子選手としては日本最高記録(男子はスキージャンプの葛西選手の8回)。自転車もバルセロナ・オリンピックでは取材し記事を書いきました。

その後の国会議員での活躍は言うまでもありません。
いろいろと問題は山積ですが、ともかくお手並み拝見というところでしょう。
大臣は辞めなければならないし、自民党を離党するのも仕方がない。またオリンピックが終わったら戻ればいいし。
国民の支持率が低いオリンピック人気をなんとかしなければいけないし、コロナ対策もどうするのか。
無観客は避けたいところですね。
橋本聖子会長の今後を刮目して待ちたいと思います。

今日の新規感染者は、445人。また増えてしまった。愛知県は51人となんとか抑えています。
体調は少しだけ良くなった程度。

そんなスポーツ三昧でした。

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