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ラグビー神戸製鋼V7の始まりの日本選手権試合を鑑賞、4日ぶりに外出する。

三寒四温のような日々が続き、少しづつ春に近づきつつあるような今日この頃。

今朝も朝のルーティーンを済ませてモーニングショーを見終われば、やることもなし。

BD-Rレコーダーに録り溜めている「録画タイトル」を検索したら、
「あの試合をもう一度!スポーツ名勝負」という項目があり、その中に、
「神戸製鋼初優勝V7の序章1989年ラグビー日本選手権」というのが録画されていました(AIで利用者が欲しそうな番組を自動で録画しておいてくれるシステム)。
どんなものだろうと見てみると、1989年1月15日に行われたラグビー日本選手権試合のVTRでした。
神戸製鋼が7連覇した全盛期の最初に優勝した試合でした。
神戸製鋼には平尾誠二主将以下、林、大八木といった百戦錬磨のフィフティーンが揃い、なかなか面白い。
片や大東文化にもシナリ・ラトゥー、ナモアといったトンガからの留学生、SO青木など居て、互角の試合展開を見せています。

大東文化の監督は、鏡保幸先生。ご自身も東京三洋(現パナソにックス)で活躍されSOとして日本代表にも選ばれていますが、天才・松尾雄治と同じ世代であったため、代表では出場機会がなくキャップ無しという形で現役を終えています。
その後、母校の監督に就任。1986年に早稲田、明治といった伝統校を撃破して大学選手権に初優勝。1989年も明治と同点引き分け優勝ながらトライ数で上回り日本選手権に進んできました。
その後、1994年にも大学選手権に優勝。3回、大学日本一にチームを導きました。

ちょうど、そんな時にスコアブックで有名な成美堂出版社から、
「ラグビーの指導書を作ってみませんか?」というお話があり、私は迷わず鏡先生をチ著者に選択。大東文化の選手たちをモデルにして初心者向けのラグビー指導書を作りました。
その際、東松山にあるラグビー部のグラウンドに何度も足を運びました。
いつも鏡監督は、グラウンドの片隅に置いてあるベンチに座り、朝日新聞を広げて熟読。「教養が高まるね」と言いながら、練習は全く選手たち任せでした。選手の自主性を重んじていたのです。
ある時、日本では見たことのディフェンス練習をやっている。当時の日本ラグビー界では1対1で守る「マーク・マーク」が原則でした。大東文化は、今はやりの「ドリフト・ディフェンス」を採用した頃でした。鏡監督は、
「なんか変わったことやってるね。まあ、プレーの選択は選手に任せているから、口は出さないよ」と語っていました。ちょっとこれまでの指導の常識では考えられないものでした。
「ラインアウトのボールは、どこに入れるのが正解ですか?」という愚問には、
「それは2番目の選手に入れておけば100%マイボールは取れます。たまに他のところに入れておけば目眩しで完璧になる」という返答。また
「負けが込んでムードが悪くなったら、どのようにアドバイスしますか?」という質問に対しては、
「勝てば全てが解決します。勝てば自然とチームのムードはよくなりますよ」とおおらかなものでした。
そんな鏡監督の著書は、スポーツの指導書としては安価ということもあり大ヒット。何度も重版を重ねる指導書としてはベストセラーになりました。

ちょうど、その本を作っていた頃の試合が、1989年の日本選手権。
見てみたら、前半は互角の勝負でスクラムでも大東文化が圧倒していました。フッカーの平岡が難しい位置からドロップゴールを決めたり、かなり自由奔放のラグビー。
懐かしい試合のVTRでした。鏡先生は、現在は部の特別顧問ということですが、お元気でいらっしゃいますでしょうか?

冷蔵庫を覗いてみれば、食糧のストックがなくなっていました。
4日ぶりに自転車に乗ってお買い物に。
ヤマナカとアオキスーパーの梯子。久しぶりの外出に、筋肉、心肺機能が弱っているのが分かる。

今日の東京の新規感染者は、340人。リバウンドでしょうか再び300人台に戻っていました。愛知県は41人と非常事態宣言解除に近づいています。

そんなスポーツ三昧でした。

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