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名古屋市秀吉清正記念館訪問。秀吉スタンプラリー開始。

台風一過のビューティフルサンデー。

まだ、岡山・呉ツアーの疲れが完全に抜けきっておらず、早朝から日曜恒例の「サンデーLive」(メ〜テレ)、「サンデーモーニング」(TBS)、「ワイドナショー」(東海テレビ)のはしご視聴をするものの夢ウツラウツラで見たような感じ。

午前中、休養したせいで疲れも抜けました。

午後からは、あまりに天気も良く、夏日を記録しながら湿度も低い気候に誘われてママチャリで出かけることに。
さて、どこに出かけようか。
そうだ、先日備中高松城址記念館でいただいた「秀吉スタンプラリー」を始めよう。
ということで、名古屋市中村区にある名古屋市秀吉清正記念館に行くことにしました。

実を言うと、この記念館に行く道は私の高校生時代の通学路でもあります。
通っていた高校が記念館の近くにあるのです。
実際に何十年ぶりかに走ってみると意外に近い。高校時代は、8時15分に家を出て、8時30分前には校門に入っていましたから近いのは当たり前か。

どこでもいいから、一番最初に出会った食べ物屋で昼食を摂ろうと思っていたら、母校の対面に「かつや」というとんかつ専門店が。カツ丼と豚汁をセットを食べました。

名古屋競輪場(高校時代、授業中に競輪のジャンがよく聞こえた)の脇を通って中村公園へ。
公園内の中村図書館の2階が目指す記念館でした。

手指の消毒をし、マスクを装着してから入場。入館料は無料。
こじんまりした1フロアーだけの記念館でした。
中村は秀吉生誕の地。清正も確か秀吉の母親のいとこの子供で、この当たりの出身です。
日本史の教科書でよくみる肖像画や書物が多く展示されており、秀吉の生誕から死後の「絵本太閤記」ができるまでの歴史がうまく展示されていました。
特別陳列で兼松正吉の展示もありましたが、まあ1回は訪問する価値はあると言える記念館です。
ただし、ここも御多分に洩れず、新型コロナの影響でタッチパネル系の展示や、人ごみになりやすいVTR画面は中止中。それは残念。コロナが収束してから再度訪問する必要はあるかもしれません。

約1時間で鑑賞終了。
受付で、スタンプラリーのハンコを押してもらい記念館を後にしました。
残るスタンプは12です。

帰りに「秀吉生誕の地」に当たる豊国神社をお参りしてきました。

庄内川の対岸下の道を川上に走り、西批杷島に帰ってきました。
帰りにアオキスーパーによって、買い物を済ませ、午後5時すぎに帰ってきました。

夜は「麒麟が来る」を見ながら「キリンビール淡麗生0 0」を飲みながら夕食を済ませました。
最近、信長、光秀にまつわるお城などよく訪問しているので、番組を視聴するのにも力が入ります。

そんなスポーツ三昧でした。

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東京オリンピック1964開幕から56年の日。映画「決戦の大空へ」を鑑賞。

10月10日といえば、1964年に東京オリンピックの開会式が行われた日。

当時、小学4年生だった白髭少年は、大変感銘を受け、現在の私があるのは東京オリンピックを見たからだ、と言っても過言ではないと思います。

おそらく、来年に東京でオリンピックが行われたとしても、1964年以上の大会は開けないと確信しています。もう新型コロナや国際情勢の関係で、それは仕方がないこと。
56年間で世の中は変わってしまいました。

朝まで降り続いた雨は、お昼にはすっかり上がっていました。

今日は土曜日ですが、特にやることもなくて、完全復活したMacのPCで久しぶりにネットサーフィン。
連続テレビ小説「エール」で今話題になっている「若鷲の歌」の作曲エピソードに繋がる「決戦の大空」という映画をYouTubeで見てみました。
先日見た「暁に祈る」に比べると、だいぶ音声がはっきりしていて見やすい映画でした。
ただ、どうしようもない国策映画で、何の芸術性も感じない作品。それは仕方がないにしても、当時の予科練でどんな訓練をしていたかとか、予科練生がどんな風に思われていたかを知る上では貴重な映画であったかもしれません。
ただ、若い青年を促成でパイロットにしても、空母から離陸できても着陸できない、なんて笑い話も実際にはあったようで、全く無駄であったような気もします。
だいたい真珠湾攻撃をした頃のパイロットは、飛行時間1000時間なんて人もいたようです。予科練でのパイロットが、実戦でどれだけ役に立ったかは疑問です。
それにしても原節子の綺麗なこと。映画の中では予科練生から「小さいおばさん」と言われていましたが、戦後の小津安二郎作品での活躍を思うと、若い彼女も利用しての国策映画。
興味のある方、ぜひ1度見てみてください。

夜はのんびり過ごしました。
体力、気力ともようやく復活してきました。

そんなスポーツ三昧でした。

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台風14号接近中、自宅で休養。夜はサッカー日本代表vs.ガーナ戦をTV観戦。

私にとって嵐のような3日間が過ぎ、本当の嵐がやってきたようです。

さすがに早朝からの3日連続の活動は疲れました。
朝のルーティ−ンだけ何とか済ませただけで、午前中は休養。

朝からもの凄い雨が降っています。
雨がわたしを眠らせる。
そんな感じかもしrてません。

ともかく雨と疲労とで何もやる気が出ない。
こういう日は、どのようにモチベーションを保てば良いのでしょうか。

昨日まで3日間家を空けたので、冷蔵庫の中もろくなものがない。
仕方なく雨の中を傘をさしてアオキスーパーまで買い物に。
かなり危ない行為です。

午後9時から、サッカー日本代表の試合が久しぶりにありました。
オランダのユトレヒトでガーナ代表と対戦。
今日はメモも取らず、ただテレビの画面を見ていましたが、まあ新型コロナの影響で、海外組だけで編成した史上初の日本代表とか。
久しぶりの試合のためか、海外組だけの試合のためか、日本代表はピリッとしませんでした。
2年前のFIFAワールドカップ・ロシア大会の活躍を最後に、どうも日本代表はすっきりしない。
つまり森保監督になってから、熱く感じるような試合がない。
相変わらずオリンピック代表監督との兼任だし、どこを強化しようとしているのかもわかりません。
そろそろ日本協会も具体的な強化策など示さないと、このままズルズルと言ってしまうのではないか。
もう次のワールドカップまでは2年しかないですよ。
今日の試合もスコアレスドロー、はっきり言ってしょぼい試合でした。

それと今日もベンチスタートだった久保くん。
ちょっとメディアが持ち上げすぎです。
才能あるプレーヤであることは認めるし、リーガ・エスパニョーラでの活躍も大したものだと思いますが、まだ何事も成し遂げていない。
代表ではノーゴールだと思うし、レアルマドリッドでの公式戦試合出場は無し。レンタル先のチームは昨季は2部に降格しているし。
それでも日本のメディアは褒めるんですよね。他に期待できるプレーヤがいないんで。

昔、カズがセリエ Aに行っていた時、ミラノで彼のプレーを見たことがあります。
途中出場したカズがボールに触ったのは2回ほど。
帰国して日本のサッカー番組を見てびっくり。
その2回ボールを触ったプレーを繰り返して何度も放送し、さぞや活躍している風にレポートするテレビ局(確かフジテレビだったと思います)。
あれではプレーヤーが可哀想です。必要以上に期待をかけられ、現地とは異なった評価を誘導する日本メディア。
何度も書きますが、久保くんも将来ある有望なプレーヤーですが、まるで功成り名を遂げたメッシのような取り上げ方は如何なものか。
今日のテレビ中継を見て、そんなことを思いました。

疲れた翼を休めるような1日のスポーツ三昧でした。

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呉港を訪問。大和ミュージアムを見学して名古屋ベースに帰ってくる。

早朝5時に起床。
体温を測り、血圧だけは測定します。
旅具を整え、身支度だけ済ませてホテルを5時30分にチェックアウト。
小雨が降っています。

時間の関係で松屋で朝定食を食べるわけにもいかず、ローソンで簡単な朝食を買い込み、岡山駅へ。
Yahooの列車検索で探し通りに呉を目指します。
ローカル線だけに、連絡その他、予定通りに乗車していかないと、少し不安です。
1本電車をやり過ごして、6時15分発の糸崎行きに乗車。

すぐに朝食を胃袋に流し込み、薬を11錠飲み込みます。
この山陽線の通勤列車。最初はガラガラでしたが、途中から超ラッシュ。特に三原、尾道からは超満員。
そして次の糸崎で強制的に電車を乗り換えさせられる有様。ほとんどのお客さんは、その次の三原で下車します。それなのに何故糸崎で乗り換えなければならないのか? 
中国新聞のHP記事のコラムで読んだことがありますが、蒸気機関車の配水、配炭の名残とか。
それを令和の時代まで続けているのは酷い。早く実情に合わせて欲しいですよ。JR西日本さん。

海江田市から呉線に乗り換え。
広島から呉を通り広まで行く電車が定番のようです。ここから単線電化。
高校の修学旅行で、呉線経由の急行に乗って広島に行った記憶があります。
ここから、何かパワースポットに入ったような感覚。
予備役の軍人が、呉鎮守府に出頭するような気分になってきました。
東京から横須賀に行く気分、長崎から佐世保に行く気分にも似ています。
途中沿線に。
「世界遺産登録申請中。元軍港4都市・呉、横須賀、佐世保、舞鶴」とありました。また韓国やら中国が聞いたら、
「何事だ。許せない」と言いそうな登録申請です。軍艦島の世界遺産登録申請でクレームをつけたわけですから。

海江田市から42分、9時47分に雨のそぼ降る呉に到着。
もう少しレトロな感じの駅を世pそうしていたのですが、超近代的な駅ビルでした。
400円のコインロッカーに荷物を預け(400円は高すぎる。せめて300円にして欲しい)、大きな出口を階段で下りると大きなロータリー。右手に阪急ホテルが見えます。
傘をさしてしばらく歩きましたが、どうも港らしい雰囲気がない。駅の観光センター(無人)で入手した「大和ミュージアム」のパンフで確認したところ、道を間違えたらしい。
改札を出てすぐ右の小さな出口を歩かなければいけなかったようです。
もう一度、駅に戻り、地図にある「プロムナード」に戻ります。

10分ほど歩くと、大きなショッピングセンタに突き当たり、そこの2階フロアを突っ切ると、ようやく海が見えてきました。
正面が呉市海事歴史科学館、いわゆる「大和ミュージアム」。右手に「鉄のくじら館」と呼ばれる潜水艦がデーンと置いてあり、その後ろが海上自衛隊呉資料館です。
その外観を写真で撮ろうとすると、バックに「日立物流」の倉庫が写り込んでしまう。ちょっと昔高校サッカーの仕事でお世話になった日立トラベルさんの親会社だけに笑ってしまいました。

手指の消毒、体温測定を済ませ、入館料500円を支払い入場。
先に大和ホールで行われていた特別展(広海軍飛行機関係の展示)を見てから大和展示資料館に進みます。最初に全長26.3mもある戦艦大和の実物10分の1の精巧なモデルが鎮座。後方のカタパルトに乗る水上偵察機の大きさにびっくりしました。見事なものです。この10倍の実物は、物凄い迫力だったんだろうなと想像できます。

私は、午後2時くらいまでに呉駅に戻らないと今日中に名古屋に帰れません。そんなにじっくり展示を見ているわけにはいきません。
それにしては、このミュージアムはかなり展示物が充実しています。呉の町の歴史から、海軍、大和の歴史も詳しい。じっくり見たら、朝一9時から閉館の午後5時までたっぷりかかってしまうでしょう。
私ははしょりにはしょって2時間弱で後ろ髪を引かれながらミュージアムを後にしました。
残念なのは、ここも新型コロナの影響かタッチパネルの展示や小会議室の展示がみられなかったこと。これをどうしようもないですね。
ミュージアムショップで買い物もしましたが、なかなかの需実ぶりでした。

天気が悪かったので港内クルーズは諦めることにしましたが、道一つ隔てたじょとにある「鉄のくじら館」と海上自衛隊呉資料館が臨時休館で見学できなかったのは誤算でした。少し時間が余ってしまいましたが、とりあえず呉駅に戻って昼食をとりました。

呉14:16分発の快速広島行きで呉市を後にしました。
あとは枇杷島まで各停を乗り継いで行くだけです。
海江田市14:59⇨白市(広島空港への乗換駅ですが、昔はエレベーターもエスカレータもなく駅員に「酷い空港乗換駅ですね」といった記憶があります。エレベータだけでも出来て良かった)15:51⇨16:24糸崎⇨新倉敷17:29⇨17:51岡山。ここでキリン一番搾り糖度0を購入。車内で旅の無事を祈って祝杯をあげます。
ところが、この祝杯は少し早かった。
岡山18:00⇨姫路19:26⇨21:58米原。姫路の乗り換えは、少し電車が遅れたのですが対面ホーム乗り換えだったので問題なかったのですが、米原の手前でアクシデント。誰かが非常停止ボタンを押したとかで電車が10分ほどディレイ。予定では乗り換え時間が9分もあったのに、違うホームの電車への乗り換えなのに、
「お客様の乗り換えが済みましたらすぐ発車します」とのアナウンス。
大急ぎで乗り換えたものの、ギリギリになってしましいました。直後で車内のアナウンスが言うのには、
「ドアが閉まる際の無理なご乗車はおやめください」ときた。いい加減にしろや。
米原22:07⇨大垣22:42。ここでも異なったホームへの乗り換え。2回も息が切れました。
大垣⇨岐阜23:02⇨23:23枇杷島。
雨は降っていませんでしたが、路面がかなり濡れていました。
途中ローソンで買い物をし、23:50頃に帰宅。

なんとか無事に帰ってこられました。
軽く夕食を済ませて床に就いたスポーツ三昧でした。
<了>

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西下し備中高松城址を訪問、GoToで岡山に宿泊。Mac のPCが復活しました。

早朝5時に起床。
ふだん寝坊助なクセに旅立つ際は早起きできるから不思議です。

朝のルーティーンを済ませ、シャワーを浴び6時過ぎに家を出ました。
自転車でJR枇杷島駅に行き、自転車を駐輪場にデポ。

6時27分発の大垣行き各停の車上の人となります。
あとは10月7日に備中松山城を訪問した時と同じルートで岡山へ。
寝不足のせいか、気がついたら新大阪という具合。十分な睡眠をとりました。

12時38分、岡山着。コンビニで昼食を買い込み、今日は桃太郎線で備中高松に向かいます。
岡山13:00⇨13:18備中高松。ワンマンディーゼルカーでしたが、車内で料金を払うことはなく、備中高松駅も有人で女性の駅員さんがいました。
しかし、備中高梁駅ほどの大きな駅ではなく、コインロッカーはありましたが、使用されておらず、重い荷物を背負って、城址公園まで歩きます。踏切を越えて約20分、約1.5kmの道のりです。

ここのお城は、羽柴秀吉が本能寺の変直後に大返しを行い、天下取りの第一歩を記した城。
名参謀・黒田官兵衛の検索で毛利家の最前線のお城を突貫で堤防を作り水攻めにした城です。
秀吉は、明智光秀を討伐するため、城主の清水宗治の切腹を条件に他の城兵の命を許し、直ちに京に向かって進軍したわけです。

城址は、広大な公園になっていて、貴重な資料を保存する蔵作りの資料館があるだけ。あとは、三の丸、二の丸、本丸跡とお濠が残っているくらい。清水宗治の首塚、胴塚などが残されていました。
少し離れたお寺には「清水宗治公切腹の地」という記念碑もありました。

資料館で「スタンプラリー」の用紙をもらいました。
秀吉が生まれてから太閤になるまでエポックとなった場所を双六風に14か所指定、スタンプを押していく趣向ですが、そのうち10個スタンプを押せば記念の特製ピンバッチがプレゼントされるというもの。
最近行った、清洲城、岐阜城、金ヶ崎、姫路城なども入っており、これを制覇するためにはスタンプをもらうためにもう一度訪問しなければなりません。
まあ、行ったことのない場所もあり、それなりに旅のモチベーションが上がることは確か。
暇つぶしにスタンプラリー、やってみますか。

備中高松駅に戻ると、やはり城巡りをしているといいう女性に会いました。
「最近、現存12天守閣を制覇しました」と告げると、
「私は目下日本の300名城を制覇しようと思っている。あと50くらいだけど、沖縄とかは行っていないので、最後の50は大変ですよ。今日も往復4万円かけて静岡から日帰りで来ました」とのこと。
上には上の人がいるもんだな、と感心した次第。
秀吉の出世スタンプラリー14個なんて、お茶の子さいさいだろう。

16時35分に岡山に戻ってきました。
MacのPCは、パスワードを入れるところまで復活していますが、あと1歩復活せず。
岡山駅近辺でマクドナルドを探し、タブレットでメールを確認しようとしたのに。
仕方なく、この前と同じホテルにチェックイン。GoToで1泊2800円。
701号室に入り、PCを開いてみると、ついにMac PCが復活するではありませんか。
いやはや。岡山でようやく機嫌を直してくれました。
やっぱり連れてきてよかった。これでメールも完読。

夜、岡山は雨が降り始めました。
昨日、今日と朝が早かったので、街で飲み歩くのはやめて、駅前のローソンで生姜焼き弁当、サラダ、キリン一番搾りのカロリー0(新製品)を買い込んで部屋のみ。ビールは、さすがにキリンの自信作。美味しかったです。

明日も朝が超早い。
早めにベッドに入ったスポーツ三昧でした。

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実家の鍵を紛失。その仕置だけ済ませて名古屋ベースに移動する。

朝のルーティーンを済ませ、旅具を整えます。

出かけようとした時、いつも鍵を置く場所に名古屋の実家の鍵がない。
間違いなく持ち帰ったはずだからと懸命に探しましたが、どうしても出てこない。
出発の時間は近づきます。
仕方なく、実家の合鍵を持っている名古屋在住の妹に電話をして、鍵を実家の某所に置いておいて欲しいと懇願。
「なんとかしてあげる」と問題は解決しました。

東伏見のマックで昼食を買い込み、東伏見から西武新宿線に乗車。

東伏見11:45?上石神井11:51?高田馬場。
ここから「秋の乗り放題きっぷ」を自動改札に入れて(青春18きっぷでは自動改札は通れません)旅をスタート。
高田馬場12:13?品川12:45?熱海。
わずか3分間の乗り換え時間。そして乗り換えた浜松行きは6両編成なのでトイレなし。乗り換える前に快速アクティー内でトイレを済ませます。
熱海14:13?浜松17:01?豊橋18:01?18:33金山。
ここで名鉄電車に乗り換え。
金山18:58?19:11新川橋。

西武線が242円、JRは78503、名鉄が300円。計3159円が今日の交通費。

無事に鍵は届いており、実家に入ることができました。
旅具を解く間もなく、近くのアオキスーパーに買い出しに。

9時頃夕食。

「秋の乗り放題きっぷ」は、昔の「鉄道記念の日きっぷ」と違って3日連続で消化しなければなりません(昔のきっぷは、期限内好きな日に3日間使用できた)。明日も早朝出発して岡山にGoToです。
早めに床についたスポーツ三昧でした。

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電動アシスト自転車の修理完了。好調になりました。

新しい週が始まりましたが、主力戦闘機のPCは未だに反応無し。
まあ、急ぐ話でも無し。
午前中は、のんびり過ごしました。

午後、お昼ご飯を済ませてから徒歩で西武柳沢へ。
西武新宿線で駅一つ、田無に向かいます。

駅前のLivin田無1階にある自転車屋さんへ修理を依頼しておいた電動アシスト自転車を受け取りに行きました。修理代は閉めて4048円。これで安全に活動できます。

近所の市役所に野暮用で立ち寄り、その足でJR武蔵境駅へ。
明日から3日間の旅に使う「秋の乗り放題きっぷ」を購入します。
各停しか乗れませんが、3日間JR乗り放題で7850円。1日あたり2617円。名古屋まで東京から6380円ですから、相当な安上がりです。
10月25日までが期限ですが、3回ほど購入、使ってみようかとお思っています。

一旦帰宅して洗濯。
夕方、MacのPCが不具合でメールが確認できないので、東伏見のMacにアイスコーヒーを飲みに行き、レノヴォのタブレットでメールを確認。Macの不具合をMacで解決するというダジャレのような所業です。
これで今回の東京でのミッションはほぼ終了。
明日は再び名古屋ベースに移動します。

そんなスポーツ三昧でした。

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サッカー関東大学女子リーグ戦、早稲田大ア女vs.日体大女子戦を取材。

10月最初の日曜日。
朝は晴れていましたが、だんだんと雲が増えていった1日。
お天気はくだり坂?

いつものように日曜日の朝は、テレビのニュースショーのハシゴです。
早朝から「サンデーLive」(テレ朝系)、「サンデーモーニング」(TBS系)、「ワイドナショー」(フジテレビ系)をしっかりと視聴。
この1週間の世の中の動きを復習します。

お昼前に起きだして「246」を読み出します。
Livin田無の自転車屋さんから電話が入り、電動サポート自転車の修理が終わったようです。
後輪の交換は避けられ、スポーク3本を修理してくれた模様。前輪のパンクも単なるチューブの虫不良で交換だけで済みました。2万円くらい覚悟していたのに、4000円程度で済みそうです。
明日、田無方面に行く用事があるので、その時に引き取りすることにしました。

昼食など自宅で食べ、少しのんびりして、3時頃バックアップ用普通のママチャリで出かけます。
今日は、自宅裏の早稲田大東伏見グラウンドで関東女子大学リーグの公式戦があるというので観戦(コロナの影響でグラウンドには立ち入り禁止。石神井川の散歩プロムナードからフェンス越しでの観戦)に行きました。
早稲田大ア女と日本体育大学女子は、ここ数年大学選手権の決勝戦で対戦している頂上決戦ですが、この時期は日体大女子の主力選手はなでしこリーグに登録参加しており、Jリーグでいうサテライトみたいなものです。早稲田ア女は、関東女子リーグに参加していますが、主力選手が二つのリーグに登録参加しています。この辺の組織的な綾は、何故そんな仕組みなの? と聞かれても答えようがありません。
昔からそういう風に運営されているので、と答えるしかありません。
まあ、そんなわけで、筑波大に0-1と苦杯を喫している早稲田ア女とpしては、目標とする関東インカレ制覇のために負けるわけには行けません。逆に、日体大は正月のインカレの出場権が取れれば良し、くらいのモチベーション。正月の決戦のためのスカウティングの意味も強かったでしょう。

早稲田大学ア式蹴球部女子のスターティングラインアップは、GK鈴木(浦和レッズユース2)。DF船木(日テレ・メニーナ2)、後藤(日テレ・東京ヴェルディメニーナ1)、堀内(常磐学園1)、渡部(スフィーダ世田谷1)。MF並木(藤枝順心3)、村上(十文字4)のダブルボランチ、右翼が加藤(アンジュヴィオレ広島3)、左翼が三谷(十文字1)、トップ下が高橋(日ノ本学園2)。FW広澤(ノジマステラ神奈川相模原トリーズ2)。私が見る限り4:2:3:1の布陣ですが、村上が2列目に上がったり、高橋がトップに上がったりと変幻自在。関東大学女子リーグの公式HPの記録では4:3:3になっていましたが、4:1:4:1と言っても良いし、非常にフレキシブルなフォーメーションを撮っていました。これが日体大女子のディフェンスを度々混乱に貶めていました。(カッコ内)は前所属チーム、数字は学年。
日本体育大学女子の先発は、GK伊能。DF新井、丸山、千葉。MF富吉、加藤のダブルボランチ、右翼が高原、左翼が金子、トップ下が久保田。FW松本、江藤。私は3:5:2の布陣と見ました。ただ、度々両翼の2人がDFラインに吸収され、前線の2人が孤立する感じもありました。日体大のHPには、前所属チームや学年などメンバーの紹介も掲載されていませんでした。プログラムも通信販売でしか購入できず、調べる手立てが無し。調査中です。
午後4時、谷内田レフェリーの笛で早稲田ア女がキックオフ、試合が開始されました。

開始早々から早稲田ア女が押し気味に試合を進めます。
何度かチャンスを逃した後、14分にコーナーキックを得た早稲田ア女。村上が蹴ったボールはファーサイドに飛び、日体大DFと競ったこぼれ球が折り返しの形になりニアに詰めた加藤の前に。落ち着いてボールを押し込みました。早稲田ア女が先制。
直後に日体大も早稲田ア女陣内でFKを得て高原が直接シュートしましたが、早稲田ア女の壁に当たりCKに。
21分には右サイドをドリブルで切り裂いた加藤がシュートを放ちましたが、これは惜しくも右にはずれました。
25分、今度はバイタル中央から早稲田ア女の村上がシュート。これは日体大GK伊能がキャッチします。
その直後の26分、高橋が右サイドからクロス、中に詰めた三谷がファインゴール。2-0とリードを広げます。
ここで前半の引水タイムに入ります。
試合再開後も早稲田ア女のペースは変わりません。
33分、左から広澤がクロス、右サイドの高橋が難なく決めて3-0。
36分には村上のパスを受けた加藤が右60度からシュート。GK伊能がセーブしましたが、ボールはゴールイン、4-0。ほぼ勝負を決めました。
日体大は。全く早稲田ア女の堅陣を崩せず、シュート数は1本、コーナーキックも1本。一方の早稲田ア女はシュート5本、コーナーキックが3本と効率よくゴールを挙げました。
アディショナルタイムは1分ちょうど、ハーフタイムを迎えました。

続く

[結果]
早稲田大学ア式蹴球日女子 5-0 日本体育大学女子(前半4-0)

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サッカーJFL東京武蔵野シティーFC vs.てケバジャーロ宮崎戦を取材。

10月最初の週末の土曜日。
だいぶ秋らしく涼しくなってきました。

午前中は、自宅でのんびりと過ごし、お昼頃、電動アシストなしの自転車で出かけます。
サッカーJFL第23節(今年度は新型コロナの影響で第1節から第15節までは行われていないので実質は第8節で折り返し点に入りました)東京武蔵野シティFC vs,テゲバジャーロ宮崎戦を武蔵野市陸上競技場で取材します。
マックの武蔵野市役所通り店でチキンクリスプとエグチを昼ご飯として買い込み競技場に。
報道受付で手指の消毒を済ませ検温をして入場します。

ここまで東京武蔵野シティFCは、選手の中から新型コロナ影響者を大亜た関係で2試合消化試合が少なく勝点8で暫定10位。対するテゲバジャーロ宮崎は、勝点11で5位です。が、東京武蔵野も消化していない2試合に連勝すれば勝点14になりますから、今日の試合は正念場でした。暫定首位のHonda FC (勝点15)と前節引き分け、ランキング2位のソニー仙台FC(勝点10)に2-0で快勝した東京武蔵野。まだまだ優勝が狙えるポジションです。
ただ、今日戦うテゲバジャーロ宮崎は、昨年度は東京武蔵野シティの一つ下のランキング。Jリーグ100年構想クラブ(つまりはJ3入りを目指しているチーム)。その夢に後1歩と近づいたもののクラブの方針でJ3入りを断念した東京武蔵野シティとはモチベーションが違います。
接戦が予想されました。

東京武蔵野シティFCのスターティングラインアップは、GK西岡(神戸科学技術)。DF小口(川崎U-18)、望月(洛北)、高(尚志)、金井(鹿島学園)。MF岩田(川崎U-18)、差波(青森山田)のダブルボランチ、右翼が池田(麻布大渕野辺)、左翼が後藤(矢板中央)、トップ下が石原(市立船橋)。FW中川(浜松開誠館)。4:2:3:1の布陣です。(カッコ内)はユース年代の所属先。
対するテゲバジャーロ宮崎の先発は、GK石井(東海大翔洋)。DF青山(筑陽学園)、井原(神村学園)、代(広島観音)、奥田(初芝橋本)。MF小野寺(麻布大渕野辺)、千布(岡山U-18)のダブルボランチ、右翼が三島(福岡U-18)、藤岡(日章学園)。FW水永(宮崎日大)、儀保(流経大柏)。中盤ボックスの4:4:2の布陣です。
午後1時、長田聖レフェリーの笛で宮崎がキックオフ、試合が始まります。

続く

[結果]
東京武蔵野シティFC 1-2 テゲバジャーロ宮崎(前半0-1)

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幻の名著「246」を読んでブログのリニュアル化を考える。

昨日から主力PCのマックが不調です。
バックアップPCのGetawayのPCは、名古屋の実家に置きっぱ(2台のPCを持ち歩くのは重くて大変です)。
まあ、どこからか原稿料が出ているブログではないので、PCの機嫌が直って復活してから書けばいいか、と鷹をくくっています。

今日は特に予定もなし。
このブログを始めたきっかけを思えば、初心に返るべきだと沢木耕太郎氏の幻の名著「246」を書棚の奥から引っ張り出し(最近出た新潮社の文庫ではなくスイッチパブリシャー刊のムックです)、読み始めることにしました。

このブログは、もともと2002年に日本スポーツプレス協会のホームページを開設した際、HPを担当していた乾さんから、
「せっかく、協会にHPが出来ても、更新回数が少ないとカッコ悪いから、白髭さん毎日更新する記事を書いてくださいよ」と懇願され、ならば日記風のコラムを書こうとして始めたものです。
その時に、1980年代に沢木耕太郎氏が「Swich」という雑誌に連載していた日記風のエッセイ「246」を参考にしたのです。
AJPSのHPの連載は、5年ほど続きましたが、そのうち一部の会員から、
「一個人の日記をAJPSのHPに掲載するのは、如何なものか?」」という意見が出て、1000回を区切りに撃ち止めになりました。
それでもAJPS理事会広報担当だった私の方には、ブログを辞めるのはもったいない、個人のブログとして続けようと思い現在に至っています。

2007年から、ほぼ毎日書く続けています。
コロナが蔓延するまでは、ほぼ毎日取材したスポーツコラムが書けたのですが、ここのところスポーツを題材にした記事は週に1回か、2回になってしまいました。
それくらい、フリーランスのスポーツライターにとって、現在は取材するのが大変です。

また毎日のようにスポーツ記事を書くことができる時がくる事を信じ、書き続けているような次第です。

「246」は読み返しても面白い。
PCが復活するまで、しばらくは時間つぶしは読書に決定!

そんなスポーツ三昧でした。
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