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三連休の2日目。実家を開けておくわけにもいかず帰名。

世の中、三連休の2日目。
春の暖かさにかまけて、お半身気分。19日の関係者会議の発表も楽観的に取られてコロナ自粛も緩みがちです。

私はといえば、17日に自分の待機検診があったので、一旦帰京しましたが、あまり名古屋の実家を開けていくわけにもいかず、今日帰名することにしました。
急ぐ旅でもないので”青春18きっぷ”を利用してノンビリと帰ることにしました。

東伏見を11時15分に出発。上石神井で11時20分発の急行に乗り換え。
高田馬場からはJRを利用。11時42分発で新宿へ。今日は新宿湘南ライナーで12時ちょうど発で平塚へ。ここで東海道本線の熱海行き13時3分に乗り換え。
熱海で昼食に穴子押し寿しを購入。14時13分発浜松駅に乗車。穴子寿司は丹那トンネンルを出たあたりで完食。例によって6両編成トイレ無しの悪名高きJR東海静岡鉄道管理局の貨車(?)に揺られて浜松で乗り換え。米原行きのロングランですが名古屋管理局の特別快速にはトイレが付いています。早速トイレ使用。
金山で名鉄に乗り換えますが、30分に1本しか走っていない佐屋行き普通の乗り越しは便が悪く25分ほど待っていました。それでも18時58分発に乗車。19時16分に実家最寄りの新川橋に到着。
早速、一番近いスーパーアオキに買い出しに。
実家に帰宅して旅の無事に感謝しつつ一人酒盛り。

そんなスポーツ三昧でした。

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東京オリンピック2020聖火は到着したけれど。

春分の日の3連休初日。
相も変わらず無観客で実施されている大相撲春場所(大阪)以外はスポーツエベントは全滅。
開店休業ガラガラ状態のスポーツ三昧です。

不要不急の外出は避けるように、という安倍ちゃんの教えを守って自宅待機のスポーツ三昧。

東京オリンピック2020の聖火も宮城の自衛隊基地になんとか到着しました。
森OOC会長、武藤事務局長、野村&吉田ら聖火リレー参加者もギリシャで行われた受け継ぎ式には行けず(行ったところで14日間隔離では聖火も受け取れない)、誰かアテネ在住のスポーツ関係者はいないかと探したら、アトランタ・オリンピックの競泳代表の井本直歩子(彼女はアメリカでは「世界から尊敬される100人の日本人」の一人に選ばれている)がユニセフの仕事で行っている幸運。
彼女が第1回アテネ大会のメインスタジアム、パナシナイコスタジアムで聖火を受け取ったようです。彼女は、私と同郷・愛知県の出身。アトランタでも取材したし(自由形リレーであの千葉すずたちと一緒に4位入賞を果たしている)、1990年の北京アジア競技大会(確か銅メダルを取っている)でも取材しています。よくぞアテネにいてくれたという感じです。なんでも前の日に日本大使館から電話があってオファーを受けたとか。本当に彼女がアテネに居てよかったですね。

あまりの強風でブルーインパルスの描く五色のシンボルマークは風で流され企画倒れのようでした。東京オリパラ担当大臣が新幹線の遅延(強風のため)で遅刻したそうで、東京オリンピック2020も前途多難
を思わせます。

日本サッカー協会からは、お知らせメールが入っておりました。
会長職のトップが新型コロナウイルスの陽性者となり、本部であるJFAハウスは、来週いっぱい28日まで全館立ち入り禁止になったそうです。
日本サッカー100年の歴史の中、初めてのことでしょう。

そういえば、今日は地下鉄サリン事件から25周年の日でした。
そんな1日を、自宅で虚しく過ごしたスポーツ三昧でした。
<了>

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停滞か前進か。運命の19日。

新型コロナウイルス蔓延の影響で、後手後手に回っていた安倍政権。
起死回生(?)の一手として売った”封じ込め政策”の最初の答えを出す3月19日になりました。

あれ以来、感染のスピードを遅らせるという裏技は、一応の成果を上げたかに見えますが、株価は大幅に下がり、世の中の閉塞感は半端ありまりません。
かろうじて大相撲だけは無観客で12日を迎えましたが、その他のスポーツはほぼ全滅。
今日開幕予定だった選抜高校野球は、最初は無観客で実施と言われましたが、結局腰砕けで球児たちの夢を奪いました。
それに呼応してサッカーJリーグの再開も延期。プロ野球は開幕が1か月以上後ろにずれるような状態になりました。
7月24日の東京オリンピック開幕も延期、中止と騒がれています。

そんな中で、昨日北海道の鈴木知事は「緊急事態宣言」を解除し、自粛要請緩和を宣言しました。英断であると思います。早めに緊急事態を出し早めに解除する。これが政治です。
そんな中、オリンピックのメダリストや関係者から「IOCは無責任である」との声が上がってきました。
まさに一進一退ですね。

注目の夜の専門者会議の記者会見は、「オーバーシュート」なる新語も飛び出し、全国的な大規模集会(サッカーJリーグやプロ野球)は主催者がリスクに十分注意した上で実施の方向で、という曖昧な表現に終わりました。
なおも感染拡大している地域(大阪と兵庫の不要不急の移動を自粛要請など)と北海道のように感染が収まりつつある地域の差が大きいこともあります。

いずれにせよ、サッカーJリーグにしても、これでは一斉に再開というわけにはいきません。おそらく4月中旬くらいまでは無理でしょう。

しばらくは取材対象もなく暇なスポーツ三昧になりそうです。
<了>


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1週間ぶりの完全休養。自宅に埋没しておりました。

朝方は寒かったけど、日中は18度まで気温も上がりました。
桜の満開も近いようです。

朝からJFA田嶋幸三会長の新型コロナ陽性報道でワイドショウは賑わしています。発症後に森喜朗氏にあったとか。スポーツ関係者やメディア関係者に陽性患者がいっぱい居そうです。
そんな報道をしていたモーニングショーですが、片山某女史が登場した瞬間にチャンネルを変えました。
IOCは、夏季競技団体とTV会議を行い、東京オリンピック2020は予定通り行うことを目標に進んでいくと決定したようです。
IOC憲章には「オリンピック競技会は、各オリンピアードの最初の年に行う」と明記されており、今年開催するか、中止にするしかありません。UEFAのユーロのように1年後に延期して開催するという選択肢はないはずです。
それを1年後に延期しようとする安倍ちゃん(自分の首相任期中に何としてもオリンピックをやりたいらしい)は、オリンピズムの欠片も理解していません。
したがって、2020年にオリンピックが開催できなければ、次は2024年(すでにパリに決定している)に行うしかないわけです。
そこは理解しなければなりません。

先週の金曜日から近年にない多忙な日々を送りました。
13日母が急死、名古屋に帰郷(何年ぶりかで”のぞみ”に乗りました)。葬儀の打ち合わせ。
14日に枕経、湯灌、通夜。
15日に葬儀、火葬、初七日の法要を前倒しで行う。
16日に事務手続きをした後、帰京(帰りは急いでないので青春18きっぷで各停乗り継ぎ)。
17日は前々から決まっていた田無の中央総合病院で循環器内科と眼科を検診。後のことを考えて、近所の内科で処方してもらっている薬も無くなるので午後検診。処方箋を持って薬局へ。
さすがに疲れました。
今日は朝のルーティーンを済ませただけで午前中は休養。
午後起きだして、先週見逃したTV番組や聴き逃したラジオ番組をTVerやラデイコで復習。

明日が本来の初七日です。本当は実家に帰っていなけりゃいけないですねど。
しばらく、何も予定もないのに東京に止まっているスポーツ三昧でした。

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田無の中央総合病院で循環器内科、眼科と近所の内科で検診を受ける。

朝はぐっと冷え込んだ東京地方。日中も13度までしか気温は上がりませんでしたが、風がない分、暖かくもあった1日でした。

朝9時には家を出発。
田無の中央総合病院に向かいます。
2か月に1度の循環器内科と眼科の検診を受診。

9時30分から循環器内科の検診。
問診、血圧測定、聴診器での検診で終了。

10時からは眼科の検診。
眼圧測定、視力検査、瞳孔を開く薬を点眼し、30分後に眼底撮影。
最後に眼科医の検診を受け、10時45分に田無の中央総合病院をでます。

西東京市役所に寄って11時20分帰宅。

瞳孔を開く薬を点眼したので、仕事もできず、昼食を摂ってから3時に近所のドクターゴトー(内科医)の定期検診へ。お薬が明日で無くなるのですが、ドクターゴトーは水曜日が休診なので、今日行くしかありません。
街中の内科クリニックも新型コロナを恐れているようで、まず受付で「体調は悪くないですか」と問診を受けます。
そして受付を済ますと、一旦患者さんは帰宅。待合室では患者が待たない、という展開。
私は近所のコインランドリーで雑誌など読んでおりました。
1時間後に再びクリニックへ。
先月受けた血液検査の数字をもとにレクチャーを受け、血圧測定、サチレーション測定、聴診器での検診など受けて10分ほどで終了。
処方箋を持って薬局へ行き、薬を処方してもらい、今日の予定は終了。

長い申請の中でも、3か所で検診を受けたのは初めてです。

夕方、日本サッカー協会の田嶋幸三会長が新型コロナの陽性患者であるとのニュース。
情けない。JOC副会長ですよ。
大相撲は全勝の白鵬に土がつき、優勝争いは混沌としてきました。

メールで第2節までの延期が決まっていたJFLは、第3節も延期。
212回これまで1回も欠かさず行われてきたJOAコロキウムの中止も連絡がありました。残円です。
国会では、相も変わらず加藤厚労省大臣が、検査の数を蓋さない方針を言い続け(検査をやれば妖精患者は10倍になってオリンピック開催はフトブでしょうね)、WHOの方針とは真っ向から対立。
世の中の閉塞感は半端ありません。
我が家のADSLも6日ぶりに開通。瞳孔が閉まりかけた夜にメールを確認できたような次第。
とりあえす、今日のブログ記事だけは更新したスポーツ三昧でした。

PS:深夜のニュースで悲報に接しました。フィギュアスケートアイスダンスで3回連続オリンピックに日本代表で出場したクリス・リードさんが急死されたとか。享年30歳。これから指導者としての活躍が期待されていたかたでした。合掌。



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東京オリンピック2020マラソン選手内定記者会見をインターネット配信で取材。

早朝、ニュースでFISフィギュア世界選手権の中止を知りました。やはり予想した通り。
卓球の世界選手権もも3月開催が6月に延期されていますが、おそらく中止になると思います。

そして俄然クローズアップされるようになったのが東京オリンピック2020の延期or中止問題。もう普通に開催するのは無理なようです。

今日は、福島県の郡山のホテルで東京オリンピック2020のマラソンに内定した男女6人の選手と、それぞれの補欠2名、計10人の選手が記者会見をすることになっていました。
始発電車で行けば間に合ったのですが、取材申請の締め切りが3月8日(名古屋ウイメンズマラソン当日)、9日と勘違いしていて申請ができませんでした。
日本陸連のHPでライブ配信があるというので、それで取材することにしました。

本来、会議は11時からだと発表され地ましたが、HPのライブ配信は1時間遅れの12時から配信開始。まず「ライブ」と謳っておきながらの1時間遅れにまずびっくり(何か拙い事があったら編集するつもりだったのか?)。
それと女子は全選手5人が会見に現れましたが、男子は内定選手2人が欠席という不手際。早速、AJPSの増島みどり女史が、そこを質問するという展開になりました。

なぜ、わざわざ郡山で会見を行ったか。
それは、1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得した円谷選手の御墓参りをして、円谷メモリアルホールを鑑賞しようという陸連側の演出だったわけです。
まあ、そこまでは取材する側も理解できるのですが、内定選手6人中2人(2人とも男子)が欠席では、旅費を払って郡山まで取材に行っているメディア関係者は、ちょっと頭にくるでしょう。
ならば6人が揃った時に会見は東京でやるべきででした。

そして時間が短すごました。
最初に陸連役員3人の会見が30分(まあ、これはこのくらいが良いでしょう)、男子が想定問題を含めて30分弱、そして女子は5人で30分弱。
これで、あとは新型コロナの影響があるので囲みはなし。以後、オリンピックまでスケジュールがタイトなので取材は遠慮してほしい、では話になりません。

せっかくの取材のチャンスでしたが、「行かなくても良かったかな」という印象です。

続く

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選抜高校野球大会中止に思う。

東日本大震災から9年が経過しました。

すでに何度も当ブログに書いていますが、2011年3月11日当日、私はフットサル全日本選手権準々決勝取材のために代々木体育館に行っており、そこで尋常ないう揺れ(まるでブランコにでも乗っているような揺れだった)を体験しました。
もちろん、大会は途中で打ち切り。自転車で原宿まで行っていたスポーツ三昧。帰りは井の頭街道、甲州街道などで帰宅難民の大行列をかき分けながら東伏見まで帰ってきました。
自宅は揺れで滅茶苦茶になっているだろうと思ったら、それほどでもありませんでした。が、テレビで見た東北地方は酷いことになっていました。
翌日、福島の原発が爆発。地震の2次被害というか人災で被害をますます大きくしてしまいました。

東京地方は物不足(スーパーマーケットとコンビニの棚から物が消えた)、そして計画停電。もう嫌になり、何度も故郷の名古屋に帰ったりしていました。
アイスホッケーは全ての行事が中止になり、サッカーJリーグも延期。その影響でコパアメリカに招待されていた日本代表も派遣を中止しましたが、日本高校選抜のヨーロッパ遠征は予定通り行われ4月16日から27日までスイス、イタリア、ドイツに私も帯同しました。
コパアメリカに日本男子代表が行かなくなったので、6月24日からドイツで行われたFIFA女子ワールドカップにも赴き、日本女子代表が世界一になるのも取材することができました。それも、結局東日本大震災があったお陰なのです(ちなみに8月には韓国・大邱で行われた世界陸上にも行っている)。
まるで日本になるべく居たくないような動き方です(8月頭には高校総体で秋田にも行き、ついでに青森、新潟、札幌、八戸など周遊してきた)。
アグレッシブでした。
それに比較して今回は、安倍ちゃんが「不要不急の外出は避けるように」なんて言っているものだから、まったくお金を消費しません。景気も悪くなるわけです。

午後2時42分、黙祷。

午後6時すこし前、高野連が記者会見を開き、19日開幕予定の選抜高校野球の中止を発表しました。
他のスポーツが、ほとんど中止の中、高校野球はアマチュアですから無観客でもいいから開催してほしかったですね。
それがきっかけになり、他のスポーツ競技会も復活するという道筋もあったと思うのですが……。
まあ、高野連とか毎日新聞社には「何かあったら俺が責任を取る」なんていう太っ腹な役員はいないようです。

東京オリンピック2020組織委員会の理事である高橋某が、
「1年か2年延期して開催すべき」などとアメリカの雑誌に語ったとか。
森OOC委員会委員長は、すぐに否定したようですが、東京オリンピック組織委員会も混乱しています。

安倍総理が、イベント自粛を2週間から「もう10日間延長」と決め、東京デズニーリゾートも大阪USJも4月上旬まで休園を延長。昨日から再開した宝塚も今日から再び休演。
世の中、まったく動いていません。

昭和天皇が御隠れになった1989年も、神戸淡路大震災のあった1995年も、東日本大震災のあった2011年も選抜高校野球は中止になりませんでした。
高校野球が、戦争以外の理由で中止になったのは大正7(1918)年の第4回全国中等学校野球大会での米騒動による時の中止だけです。もちろん、春の選抜は戦争による中止しかありません。
史上、そんな大変なことになった高校野球。

ますます気が鬱してくるスポーツ三昧でした。

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春の嵐の中、いったん上京してひと段落を。

東京大空襲から75年目の日。
春麗らかな日は1日だけで今日は朝から嵐のような雨。
半端な雨ではありませんでした。

体調を崩している母の病状も今日明日どうこうなるというものでもなく、
私自身の定期検診が近々西東京市の病院であるため帰郷せねばなりません。
そんなに東京を離れているわけにもいかず、今回は今日帰ることにしました。

お昼ご飯を済ませ1時頃実家を出たのですが、ものすごい雨で13時9分新川橋発の電車に乗れず。
13時39分発の電車で金山へ。
金山からは"青春18きっぷ”を利用して各駅停車を乗り継いで東京に向かいます。
まず14時5分発の快速豊橋に乗車。豊橋に着く前に車内アナウンスで、
「この列車は、後ろ2両を切り離し、前6両は浜松行きになります」と変更が。何らかの理由で機材の都合がつかなかったのでしょう。珍しいことです。
浜松15時52分発の沼津行きに乗り継ぎます。トイレ付きのロングラン、JR東海静岡管内も昨年よりは少しは進歩しました。
沼津18時8分発の電車も何と宇都宮行き。昔は、名古屋から5回も6回も各停を乗り換えないと行けなかったのに、今回は2回の乗り換えで名古屋から東京まで行けます。便利になりました。
ところが、この電車も平塚あたりでアナウンス。
「後続の高崎行きに不具合が出ました。この列車は宇都宮行きですが高崎行きとし、後ろの列車を宇都宮行きに変更します」
これまた珍しい事。どちらにしても私は途中の品川で下車するので影響なし。品川に20時15分着。
山手線に乗り換え、高田馬場から西武新宿線で東伏見へ。21時20分に東伏見に着く頃には雨も上がっていました。

5日ぶりの帰宅ですが、何かもっと長く離れていたような感じもします。
無事に旅が終わった事を祝し、軽く焼酎のお湯割など1杯だけいただき、遅く軽い食事で1日を閉めたスポーツ三昧でした。

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名古屋ウイメンズマラソン翌日、天気は回復・春陽気、母を見舞って故郷をサイクリング。

昨日の冷雨の人は打って変わり、20度超えの麗らかな春の陽気になりました。

早朝、名古屋のホテルでは一山のインタビューが行われたようですが、今日の午前中はお休みをいただきました。

昼ごはんを済ませてから、郵便局に行く用事もあったので、実家の自転車(電動アシストではありません)を借りて入院中の母の見舞いに栄生の病院に行くことにしました。
風もなく暖かい1日。
昨日のマラソンが、今日のようなお天気で行われていたら、どうだったでしょうか。
雨が降っていないことで道路がスリップしないのでNikeの厚底シューズを履いた一山は2時間20分を切っていたかもしれません。あるいは気温が上がりすぎて、松田の記録は破れていなかったかも。
そう考えると、本当にスポーツというものは「時の運」というものが大きいものです。

金曜日、土曜日にも母を見舞いに行ったのですが、病室が変わっていました。
今日は比較的体調も良いようで、結構おしゃべりもしました。
嫌がっていた点滴の治療も素直に受けてくれたようで一安心です。
現在、新型コロナウイルスの影響で、家族ですら「見舞いはご遠慮ください」という方針で、30分ほどで退出しました。

そのあと、ここのところ運動不足ということもあり、故郷の町(西枇杷島町)をサイクリング、買い物などして帰宅しました。
帰宅してニュースを見ていたら、20日に予定されていたプロ野球の開幕が4月に延期、18日のサッカーJリーグの第2節からの再開も延期。やはり19日に開幕予定の選抜高校野球の無観客or中止(11日に決定)の判断が、3月中に大規模興行を実施する、という決定に足かせを作ったような結果になっています。
昨日から無観客で行われている大相撲を見ていても、とてもスポーツの興行とは思えません。プロ野球が無観客では公式戦を行わない、という判断は正しいと思うし、それがプロフエッショナルのプライドといったものを感じさせますが、いずれにせよ我々フリーランスのスポーツジャーナリストは上がったりです。
戦争を始めるのは簡単だが、終わらせるのは大変だと言われますが、延期を決めたのも簡単でしたが再開するのは大変。一体誰が決断するのでしょうか。安倍さん、加藤さん、誰ですか?

そんな事を考えていたスポーツ三昧でした。

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名古屋ウイメンズマラソン2020を取材。

6時起床。
雨が降っています。

大阪国際女子マラソンんで2時間21分47秒の好タイムを出し、オリンピックに一番近いところにいる松田瑞生は何を思うのか?

朝のルーティーンだけ済ませます。
NHKで神戸新聞が若い記者に神戸淡路大震災の記憶をどう繋げていくかというドキュメントを流していました。あれから25年。歴史は繋がっていくのです。

6時58分、実家の最寄駅・名鉄新川橋駅を出発。
金山で市営地下鉄の乗り換えますが、例年だと市民ランナーで満員になるのに、今日は閑散としています。今日のレースは2万人の市民ランナーがいません。

8時、プレスセンター着。
昨日、机に名刺を貼っておいたので、1席確保でしました。さすがにレース当日の今日は、記者たちの出足も早い。
メールを確認したり、記事を書いたりしてスタートの9時10分を待ちました。

気温7.5度、小雨。スタートラインについたのは116名(うちペースメイカーが5名)。
予定通り9時10分にスタート。
ペースメイカーは1km3分21秒。予想タイムは、大阪の松田のタイムを上回る2時間21分22秒。
2kmでペースメイカーのボルネス・ジェプキルイが足の故障で離脱。難しいレースだと実感しました。
5kmは16分41秒で通過。予想通りのペースです。
有力選手では、清田真央(スズキ浜松AC)が離脱(第2グループ)したくらい。有力選手は第1グループに入っています。
10kmは33分19秒で通過。シャーロット・バリュー(イギリス)、岩出玲亜、ユヌス・チュンバ(バーレーン)らが先頭を引っ張ります。
12km付近でベッツィ・サイナ(ケニア)が棄権。
雨がやや強くなりました。
15kmは50分12秒。給水で岩出が遅れだします。ディフェンディング・チャンピオン、ナミビアのジョハネスも遅れだしました。
福士加代子、岩出玲亜も遅れだしました。
先頭グループの中では一般参加の佐藤早也加の健闘が目立ちます。
20kmの通過タイムは1時間6分50秒。一度落ちたペースが戻ってきました。
ハーフは1時間10分26秒、25kmは1時間23分29秒。若干ペースが落ち始めます。
すると29kmで一山(ワコール)は永山忠幸監督の指示を受けてペースメイカーの前に出ます。安藤、佐藤もついていきます。
30km1時間40分30秒。一山が給水ポイント前からペースを上げます。ユニス・チュンバ(バーレーン)リオ・ノリポ(ケニア)を引き離しにかかります。一山は濡れたレッグウォーマーを外して投げ捨てした。シドニー・オリンピックの高橋尚子もサングラスを放り投げて、
「ここからいくぞ」と意思表示をしましたが、それと同じです。
30kmすぎから1km3分14秒のペースを1km、2km、3kmと続けていきます。ついには3分11秒にまで上げます。さしものチュンバ、ノリポも追いつけません。安藤、佐藤も圏外に去りました。
34kmの上り坂も1km3分16秒でクリア。昨年の酷寒の東京マラソンを経験している一山、今日くらいの気候なら屁でもないのでしょうか。
35kmを1時間56分45秒、40kmを2時間13分16秒でクリアした一山は独走状態。あとは記録だけが相手でした。
無観客の名古屋ドームに入ってきた一山。関係者の拍手だけが響き渡ります。
フィニッシュタイムは2時間20分29秒。なんと野口みずきが2003年の大阪国際女子マラソンでマークした国内日本人記録を17年ぶりに破る大記録。日本女子歴代記録でも4番目の記録。もちろん大会新記録です。文句なしで東京オリンピック内定です。

ゴールの瞬間は、プレスセンターを飛び出てドーム内のフィニッシュを見ました。名古屋は6大会連続でオリンピック代表選手を出していますが、やはり今年も裏切りませんでした。取材冥利に尽きます。

例年ですとプレスセンター内に雛壇を作り、そこで記者会見が行われるのが恒例ですが、今年はドームの3塁側に特設会見場が設けられました。新型コロナの影響です。
最初は、日本陸連の会見。瀬古さん考案のMGCは、選考までは成功と言えます。オリンピック本場で日本選手がメダル獲得、悪くても男女6選手のうち1人くらいは8位入賞しなければ大成功とは言えないでしょう。いま少し評価するのは待った方が良いと思います。

1時から表彰式があり、選手の記者会見はその後から。
まず2位の安藤智香と永山忠幸監督が登壇。安藤は、2017年の名古屋ウイメンズマラソンで2時間21分36秒の歴代4位(当時)の記録で優勝、鮮烈なデビューを飾りました。それから長い間スランプに陥っていましたが、ようやく今日2時間22分41秒の記録を出し、復活の兆しを見せました。
安藤も一山もワコールの所属ですから永山監督にとっては「わが世の春」といった感じでしょう。

ドーピングが終わった一山が、途中から安藤に変わり壇上に上がります。
かなり早いペースのレースでしたが、一山は、
「29kmまではジョッグ感覚で走れました。永山監督の”鬼鬼メニュー”のおかげです。そして30kmすぎが勝負かと思ったのですが、だいたい30km直後の給水で外国人選手はペースを上げることが多いので29kmあたりからペースを上げて離しにかかりました。それ以降、独走になっても今日は苦しくなったことはなく、早くゴールしたい、という気持ちだけ。34kmの登りも試走で2回ほど走っていたし、大したことはなかった。今日は思っていた通りに走れた。雨も昨年の東京を経験していたので、大丈夫でした」と余裕の受け答え。
永山監督は、
「一山は、高校2年の時にワコール入りが決まったのですが、それまで私は一度も見たことがなかった。オリンピックに行きたい、と入る時から言っていたが、なかなか結果が出すに”なんでだろう”と私自身が悩んだもの。MGCの時は、戦略的にチームワコールの捨て駒にしてしまったのですが、その後厳しい練習についてきてくれて調子も上がっていたので今回はやってくれるだろうと思っていました」
としてやったりという表情。
福士に続いて5回連続のオリンピック代表を出した満足感はあったようですが、
「まだメダリストも出していないし、私が監督になってから駅伝での優勝もなし。藤田さん、武富さん、小出さんなどの名監督に1歩でも近づきたい」と語りました。

2時40分、記者会見は終了。
その後、プレスセンターでお仕事。
大会事務局から沿道でマラソンを見た人が2万5000人もいたと発表がありました。昨年は38万人くらいだったらしいが、今日は雨もかなり降っていたし、日本人のマラソン好きも大したものですね。
でも、名古屋は東京以上に「沿道での観戦はご遠慮ください」と広報していましたけど。
まあ、無事に終わってよかった。今日は国際女性DAYでした。
それに相応しい行事なのですが、新型コロナ騒ぎでそれも吹っ飛んだわけです。

午後5時過ぎに荷物をたたんで退散することにしました。
6時30分帰宅。
昨夜は暖かかったけど今日は寒い。なかなかすんなり春にはなりそうにもありません。
そんなスポーツ三昧でした。
<了>
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