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終日自宅でネットサーフィンを楽しみました。

7月最初の日曜日は、1日雨にたたられました。
昨夜は11時すぎに帰宅。遅い夕食を摂ったら、さすがに疲れて早めに床に入った次第。

明けて新しい週です。
今日は特に取材の予定なし。

まず、昨夜は見逃したNHK大河ドラマ「いだてん」をYTRで拝見しました。
人見絹江さんのお話でした。
1928年、第9回アムステルダム・オリンピックで日本人女性初のメダルを陸上女子800mで獲得した名選手です。日本人女性アスリートのパイオニアでした。
彼女は本来、短距離(100m、200m)、跳躍(走幅跳び、三段跳び)が得意の選手でしたが、当時のオリンピック女子には、100m、800m、走高跳、やり投げしかなく、100mにエントリーしていたのですが重決勝4位で敗退。
「このままでは日本に帰れない」と決意し、1度も走ったことのない800mに急遽出場。見事にドイツのラトケ夫人に次いで2位に入賞(世界新記録を破っていた)。陸上競技で初めてメダルを獲得しました。
その数時間後、男子三段跳びで織田幹夫選手が、彼女の銀メダルに勇気を得て優勝。日本人初の金メダルを獲得しました。
数日後に始まった競泳(現在のオリンピックとは逆で陸上が前半、水泳は後半に行われていた)でも日本選手は活躍。男子200m平泳ぎで鶴田選手が優勝。800mリレーで銀メダル、男子100m自由形で高石選手が銅メダルを獲得。日本は金2、銀2、銅1と5個のメダルを獲得したのです。その嚆矢となったのが人見選手の活躍でした。

帰国後、人見選手は陸上競技、女性スポーツの普及活動に尽力。大坂毎日新聞社に入社してスポーツジャーナリストとしても活躍していますが、無理がたたって病魔に倒れ、銀メダルを獲得した3年後の1931年8月2日に24歳の若さで亡くなっています。
そんなドラマを視ていたら、最近齢のせいで涙腺が緩くなっているらしく涙滂沱。


その直後から、ネットサーフィンに入りYouTUbeで1991年のラグビー日本代表vs.スコットランド代表戦も視聴。
日本が初めてインターナショナル・ラグビー・ボード加盟国に勝ったのですが、そのVTRを視て涙滂沱。結果は分かっているのに興奮してしまうのは何故?
監督は宿沢広郎さん。そしてバックスの中心は平尾雄二選手。どちらも生前お世話になった方でお二方とも鬼籍に入られてしまっています。あのころは、ラトゥーとノホムリぐらいしか外国出身の選手はいなかった。大西鐵之佑氏の「接近、展開、連続」の教えを受け継いだチームでした。
たしかに、あの時のスコットランドは、同時期に行われたブリティッシュ・ライオンズ(英4協会合同チーム)のオーストラリア遠征と重なっており、主要選手を6人くらいとられており、フル代表と言えなかったし、ゴールキックのミスが多いなど、あの日の日本代表のアタックは適切だったし、なによりタックルが素晴らしかった。
日本ラグビー界にとっては、1973年のイングランド戦での善戦(3-6)、そしてスコットランド戦、前回ワールドカップでの南アフリカ戦の勝利は、史上に残る試合だと思います。

その後、1991年のラグビー・ワールドカップの日本代表戦3試合のハイライトも視ました。この遠征もイギリス、アイルランドまで取材に行ったスポーツ三昧。スコットランド、アイルランドのホームに於ける厳しい戦いを目にして「世界の壁は厚い」と改めて実感させられた遠征でした。

夜はウインブルドン観戦。錦織は1セットを落としましたが、6-3、3-6、6-3、6-4の3-1で快勝、準々決勝に進出。次戦はロジャー・フェデラーとの対戦です。
この一戦は楽しみ。

ユニバーシアードのサッカーは、男女とも1次ラウンドを2連勝で突破。準々決勝は、女子がカナダ、男子は韓国と対戦します。ここが一つにヤマでしょう。
女子は北朝鮮が、男子はイタリアが強そうですが、日本はアバック金メダルのチャンス、ユニバーシアードでサッカーが実施されるのは最後と言いますから、本当に勝ってほしい。

そんなスポーツ三昧でした。

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